文化財【隼人】
|
1 |
紺糸威鎧兜大袖付 一領 |
2 |
色々威胴丸兜大袖付 二領 |
|
3 |
刀 銘 相州住秋廣明徳三 |
4 |
隼人塚 |
|
5 |
鹿児島神宮本殿 拝殿 勅使殿 |
6 |
正国寺跡石仏 三躯 |
|
7 |
鹿児島神宮文書 |
8 |
宮内の田の神 |
|
9 |
平熊の石橋及び石洗越 附石洗越の碑・水神碑 |
10 |
辻の角の保食神社 |
|
11 |
鹿児島神宮宝物 陶磁器 |
12 |
日秀上人遺品関係資料 |
|
13 |
鹿児島神宮四天王石像 |
14 |
神宮古印 |
|
15 |
十八日の馬 |
16 |
川尻琉球人踊り |
|
17 |
湯本大権現碑 |
18 |
隅州富隈新松林記 |
|
19 |
大隅国桑原郡西国分郷鑿溝崇水神記 |
20 |
菅原神社磨崖仏 |
|
21 |
三光院墓碑群 |
22 |
空順上人入定石室 |
|
23 |
弥勒院・正興寺等墓域 |
24 |
富隈城跡 |
|
25 |
薩摩義士山元八兵衛定矩の墓 附山元八兵衛定矩母の墓 |
26 |
沢家墓碑群 |
|
27 |
宮坂貝塚 |
28 |
内山田の鼻んす(二連隧道) |
|
29 |
荒瀬城跡のイチイガシ | 30 | JR肥薩線嘉例川駅駅舎 一棟 |
1.紺糸威鎧兜大袖付(こんいとおどしよろいかぶとおおそでつき) 一領
この鎧は、島津貴久時代の家老樺山幸久が鹿児島神宮に寄進したものと伝えられています。黒漆の盛上げ本小札を紺糸で威したもので、南北朝時代の作です。胴丸や腹巻が盛んになりつつあった時代で、兜の作りも極めて精巧です。
- 昭和28年3月31日指定(国指定重要文化財)
- 所在地:黎明館(鹿児島神宮所有)

2.色々威胴丸兜大袖付(いろいろおどしどうまるかぶとおおそでつき) 二領
この二領の胴丸は、永禄元年(1558)、島津貴久が鹿児島神宮に寄進したものです。精巧な盛上げ本小札を、1領は紅、白、萌黄の組糸で威し、もう1領は白、紅、紫の組糸で威したほとんど胴形式の胴丸で、室町時代末期の作です。
- 昭和28年3月31日指定(国指定重要文化財)
- 所在地:東京国立博物館・黎明館(鹿児島神宮所有)
![]()
3.刀 銘 相州住秋廣明徳三(かたな めい そうしゅうじゅうあきひろめいとくさん)
南北朝時代の1392年、相模国(神奈川県)で作られ、島津家に伝わったものといわれています。刃長63.6cmの小太刀で「相州住秋廣」「明徳三」の銘のほか、梵字の浮き彫りがあります。
1818年に27代斉興が現在の鹿児島神宮に奉納しましたが、戦後の刀剣類接収で行方不明となっていました。 2003年、58年ぶりに神宮に戻り、現在は黎明館に寄託されています。
- 昭和25年8月29日指定(国指定重要文化財)
- 所在地:黎明館(鹿児島神宮所有)
4.隼人塚
康治元年(1142)の刻銘のある大隅国分寺の石塔との比較や発掘調査の成果などから、隼人塚石塔も今からおよそ1000年ほど前の平安時代後期の建造物と見られています。広さ約50平方メートル、高さ約2メートル余りの丘の上に、五重石塔3基と四天王石像4体が立っています。
建立については「殺されたクマソ・隼人の霊を慰めるために建てられた」とか「正国寺という寺の跡」などの諸説があります。
平成10年から11年にかけて、石塔と石像の復元工事が行われ、創建当時の姿が蘇りました。
- 大正10年3月3日指定(国指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町内山田265-3

5.鹿児島神宮本殿 拝殿 勅使殿(かごしまじんぐうほんでん はいでん ちょくしでん)
鹿児島神宮は、本殿・拝殿・勅使殿が一直線に並び、柱筋が本殿から勅使殿までつらなる造りになっており、勅使殿両脇の東長庁、西長庁が外観を荘厳にしています。
社殿は宝暦6年(1756)に建てられました。本殿は県内最大規模を誇っています。
鹿児島神宮の文献上の所見は、『延喜式』(927年)の「大隅国桑原郡一座 大 鹿児島神社」の記事です。平安時代には鹿児島神宮は、八幡正宮ついで正八幡宮と称されました。明治初年の廃仏毀釈以後、八幡の名乗りが廃され、鹿児島神社に復し、明治7年に皇室の祖先神を祭る神社として鹿児島神宮と称するようになりました。
- 平成2年3月23日指定(県指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内2496

6.正国寺跡石仏 三躯(しょうこくじあとせきぶつ さんく)
3躯のうち、光背を背負い高肉彫りに掘り出された如来形坐像と菩薩形立像は、いずれも光背全面に康治元年(1142)の陰刻銘があり、製作年がわかる貴重な遺品です。首の折れた坐像は平安時代の丸彫刻として、現在残っているものが極めて少ない貴重なものです。
- 平成9年4月21日指定(県指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内山田287-1(隼人塚史跡館)

7.鹿児島神宮文書
鹿児島神宮の文書は、神宮所蔵となっている『正八幡宮神官命婦職補任状(みょうぶしきぶにんじょう)』(養和元年(1181))や、永久寄託された『酒井季時正宮修理識補任状(さかいすえときしょうぐうしゅうりしきぶにんじょう)』(保安2年(1121))等を合わせ、中世から近世までの文書22通からなっています。巻物仕立(6巻)で桐箱に収納され、同神宮宝殿に保管されています。
- 昭和62年3月16日指定(県指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内2496 鹿児島神宮

8.宮内の田の神
この田の神像は、鹿児島神宮下の御神田の場所に鎮座しています。灰白質の粗い石質で作られ、顔は翁面に似て横幅広く、顎ひげがあります。高さ91cmで大きなシキをかぶり、右手にメシゲ、左手には椀を抱えるように持っています。農作業姿神舞型の典型的なものです。天明元年(1781)造立。
旧暦5月5日(今はこれに近い日曜日)の鹿児島神宮のお田植祭には、この前に祭壇が作られ、田の神舞が奉納され、早乙女が田植えをします。
- 昭和43年3月29日指定(県指定有形民俗文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内山田1805(鹿児島神宮境内地内)

9.平熊の石橋及び石洗越附(つけたり)石洗越の碑・水神碑
平熊の石橋は、松永用水路上に架かる石橋です。人の渡る石橋というよりは、山から流れ出す谷川水を越させるための石橋といえます。
石橋の上には石畳が敷かれ、谷川水はこれを越えて2mほどの落差の落としで排水されています。地元の人たちは、松永用水に直接流れ込んでいた谷川水が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、用水路を越す形に改造したと伝えています。
石洗越の碑 安永6年(1777) 水神碑 宝暦11年(1761)
- 平成17年7月6日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町松永字平熊
![]() |
10.辻の角の保食神社(うけもちじんじゃ)
辻の角の保食神社の建物は、元は宮内小学校の所にあった弥勒院脇の白鷺池の弁財天堂で、明治初年の廃仏毀釈の後、現在地に移築された物と伝えられます。
神社本殿は、四尺四方の正方形の平面に入母屋造りの屋根を載せ、正面に唐破風が設けられています。
- 平成17年7月6日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町神宮五丁目154-1

11.鹿児島神宮宝物 陶磁器
鹿児島神宮は927年に編纂された「延喜式(えんぎしき)」にも記載されており、平安時代には大隅正八幡とも称され、広大な寺領を有していました。そのため、鹿児島神宮には、当時交易をしていた海外の様々な資料が宝物として残されています。
特に陶磁器は、中国産とタイ産のものが伝来しており、またこの外国産の焼物を複製した焼物があります。これは、薩摩藩主島津斉彬が集成館事業の一環として作らせたものといわれており、ここまで瓜二つに写しを作った高度な技術と、一対のものは一対に作るというように数量まで合わせている点は非常に興味深いところです。
このように、鹿児島神宮の宝物は、神宮の歴史や当時の交易、さらには集成館事業の内容を知るうえで大変貴重です。
- 平成20年3月25日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内2496 鹿児島神宮

12.日秀上人(にっしゅうしょうにん)遺品関係資料
日秀上人は真言宗の高僧で、金峯山神照寺三光院というお寺を建てましたが、明治初年の廃仏毀釈によって日秀神社に変わりました。
日秀上人は、永禄3年(1560)の鹿児島神宮の再建にも功績があったといわれています。
日秀神社には上人に関する資料が多数残っており、現在は隼人歴史民俗資料館に展示してあります。
- 昭和60年7月5日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内2496(隼人歴史民俗資料館)

13.鹿児島神宮四天王石像
神宮境内にある隼人歴史民俗資料館の庭から発見された石像。腰の辺りで二つに分断されています。兜を深くかぶり、大きく剥いた眼の造りなどが隼人塚四天王石像に非常によく似ていますが、神宮四天王石像の方は彫りがやや甘い感じがします。当地の四天王石像の流れや傾向を知る上で非常に貴重な資料です。
- 平成6年6月7日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内山田287-1(隼人塚史跡館)

14.神宮古印
鹿児島神宮に古くから伝わる銅印で、元正天皇の奉納と伝えられています。印面の大きさ5.2cm四方。文面は「八幡宮印」。同印の押された古文書には、酒井季時補任状、保安2年(1121)、藤原太子補任状、養和元年(1181)、祢寝文書の大隅正八幡宮政所下文、保安2年などがあります。
これから推察すると、神宮古印は800年以上も前の物であることは確かで、八幡宮(鹿児島神宮)の歴史を証明する証拠物件として価値が高い資料です。
- 平成7年7月3日指定(市指定有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町内2496 鹿児島神宮

15.十八日の馬
旧暦1月18日(現在はそれに近い日曜日)に鹿児島神宮初午祭に奉納される「鈴かけ馬踊り」のこと。地元では祭り日に因んで、「十八日の馬」と呼んでいます。
馬が太鼓・三味線・鉦の伴奏に合わせて首を振り、足でステップを踏みながら踊ります。その後を人間の踊り連が、ハンヤ節に似たテンポの唄に合わせて踊りながら付き従います。
室町時代に日秀上人、島津貴久、正八幡神官桑畑氏の3人が、一夜に馬頭観音のお告げを夢見て、馬頭観音堂を建てたことに由来するといわれています。牛馬守護・五穀豊穣・家内安全・厄除けなどを祈る伝統芸能です。
- 昭和62年3月31日指定(市指定無形民俗文化財)

16.川尻琉球人踊り
島津義久公が富隈城或いは舞鶴城に居城していた江戸時代の初め頃、琉球の人々との往来がありました。その行列を目にした川尻の人が行き交う行列を真似て三味線を弾き歌を歌いつつ、おもしろおかしく楽しい踊りを仕立てて伝え伝えてきた踊りが琉球人踊りそのものの始まりだと言われています。
琉球風の髪型を紫の布で飾り、琉球がすりに、青の手甲に脚半・白の腰巻き・青の前掛けにわらじを履き、道行き、琉球人踊りやんばる・大和人(ヤマトチュウ)奴踊り・伊予節そして最後にまた道行きの五部構成で、鉦・太鼓・三味線に合わせて四つ竹を鳴らして踊ります。
子供達は琉球がすりの右肩袖を脱ぎ、緋の襦袢に緋の腰巻きという姿で、踊りを披露します。
手と手を、心と心を結び、喜び楽しみを共有し、世代時代世紀を乗り越え、集落の連携を拡げ固めながら、川尻集落の人々が代々受け継いできた琉球人踊りは、保存会のもと地区全体で踊りの伝承と披露に取り組んでいます。
- 平成3年3月31日指定(市指定無形民俗文化財)
- 所在地:霧島市隼人町見次川尻

17.湯本大権現碑
旧隼人町姫城の清姫温泉内にあります。僧明源、鎌倉時代の永仁元年(1293)の銘があることから、碑の建てられたのは鎌倉時代の後半期で、明源というお坊さんがお湯の出たことを記念して、湯源に石をご神体として湯の神様を祭ったものと思われます。
石碑の裏に永禄10年(1567)の追刻があります。それによれば、「石碑は地下5尺(約160cm)の所に埋まっていた。松慶というお坊さんが、四月中旬に三夜共に同じ夢を見て、石碑が地下にあることを知り、それを掘り出した。感激の余り、松慶は経緯を碑の裏に彫り、国土安穏・万民の幸せを祈り、再び碑を建て直した。」とあります。
姫城地区の温泉の起源を知る上で重要な石碑です。
- 昭和62年3月31日指定(市指定民俗文化財)
- 所在地:霧島市隼人町姫城三丁目122

18.隅州富隈新松林記
島津氏16代義久が築城した富隈城内にあります。高さ121cm、横幅44cm、厚み32cmの石碑。富隈城が義久の居城であったことが忘れ去られるのを恐れ、国分地頭の赤松大夫が高千穂峰から松苗百余株を移植し、遺跡であることを世人知らしめようとしたことなどが漢文で刻まれています。寛政11年(1794)建立。
- 昭和59年3月31日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町住吉1881

19.大隅国桑原郡西国分郷鑿溝崇水神記
宮内原用水の起点、水天渕の取水口に立つ用水路完成の経緯を記した記念碑です。
宮内原用水は、汾陽盛常(かわみなみもりつね)を工事奉行として、正徳元年(1711)に工事が始められ、正徳6年(1716)完成しました。用水路は日当山から鹿児島神宮前を経由し、隼人体育館の手前で浜之市・住吉方面と小田・野久美田方面に分かれます。
水神碑は享保2年(1717)に建立されています。
- 昭和59年3月31日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町西光寺水天渕

20.菅原神社磨崖仏
磨崖仏は、自然の岩や崖面を削り、仏像や梵字等を彫ったものです。
普通、2体、4体、13体といった風にセットで彫られています。右手神社参道横には1体のみ11面観音が彫られ、「天神御本地」の刻字もみえます。年代は天正〜慶長年代で、神社との関係も注目されます。
- 昭和59年3月31日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町松永3282-9、3283

21.三光院墓碑群
鹿児島神宮西側の朝日集落にあります。現日秀神社の所には日秀上人によって開かれた三光院というお寺がありましたが、明治初年の廃仏毀釈により消滅しました。その跡に歴代住職の墓石や古石塔類が多数残っています。
- 昭和60年3月31日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町朝日19

22.空順上人入定石室
獅子尾丘(通称シッノオカ)にあります。空順上人という真言宗のお坊さんが、願を立てて、生きたまま石室にこもり、亡くなったところといわれています。空順上人は、江戸時代、正徳・享保の頃(今から約270年前)の人です。
島津家の御用僧のような人で、お祈りにより数々の奇跡を行い、特に阿久根の大火を止めたり、日照りの時に雨を降らせたりしたといわれています。今でも火の神様として信仰されています。
- 昭和63年3月31日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町内山田一丁目11-6

23.弥勒院・正興寺等墓域
宮内地区公民館の裏にあります。元は公民館周辺の田んぼの土手などに散在していた墓石を一箇所にまとめ、復元したものです。臨済禅宗の寺であった正興寺の歴代住職(室町時代〜江戸時代)の墓が主で、宮内小学校の所にあった正八幡宮の別当寺、弥勒院の住職の墓なども含まれています。
正興寺の坊さんたちの墓石は、室町時代に薩摩で盛んになった漢学の一派「薩南学派」の系譜を引く人たちのもので、漢学史研究にとって貴重な遺物です。
- 平成元年2月7日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町神宮三丁目215-8

24.富隈城跡
島津義久が文禄4年(1595)から慶長9年(1604)まで、足掛け10年居住した城です。秀吉の島津征伐に敗れた義久が、上をはばかって謹慎の意を表した隠居城といわれています。長浜城のような山を利用した城と違って、平野に築いた城(平城(ひらじろ))です。
江夏友賢が設計に携わり、石垣は肥後(熊本)八代の石工が積んだものと見られています。石垣の南東隅には、加藤清正寄進と伝えられる清正石という巨石があります。
- 平成6年3月1日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町住吉1879-4、1881

25.薩摩義士山元八兵衛定矩の墓附(つけたり)山元八兵衛定矩母の墓
隼人町住吉墓地にあります。宝暦4年(1754)から5年(1755)にかけて木曽川治水工事に従事した薩摩藩士、山元八兵衛とその母の墓石です。
山元八兵衛は、勘定方(会計係)として治水工事に加わったと伝えられています。故あって八兵衛は切腹し、遺体は三重県桑名市海蔵寺に葬られました。住吉墓地になぜ八兵衛の墓があるのか謎でしたが、両方まぎれもなく本物の墓であることが調査によって確かめられました。住吉墓地の墓は遺髪を納めたものと考えられています。
没年 宝暦4年甲戌 11月21日
法名 悦岩共忻居士
- 平成7年3月7日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町住吉1513(住吉共同墓地)

26.沢家墓碑群
正八幡宮の社家(田所職)であった沢家の墓地。高さ約1mの高さの丘に40枚余りの板碑が長四角に配置され、その中に五輪塔3基、三重石塔1基が立っています。
ここの板碑は、額の部分(上)と身の部分(下)と二重に梵字が刻まれています。梵字は種字といってそれぞれ仏尊を表すと考えられますが、いまだ全体的な構成については十分解明されていません。
身の部分には、梵字の横に「南無阿弥陀佛」と墨で書かれているのが今も読み取れます。三重石塔の台石に延應元年(1239)、自然石柱に嘉禎三年(1237)の年号が刻まれています。これにより沢家墓碑群は、鎌倉時代の中頃に造られたと推定されます。
沢家墓碑群は、鎌倉時代の絵草子などに描かれた墓地の形式を残した遺跡として重要であり、社家も仏教文化(密教)の影響を強く受けていたことが伺える貴重な遺跡と評価されています。
- 平成9年8月26日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町神宮五丁目579-17

27.宮坂貝塚
鹿児島神宮裏参道の上方にある縄文時代の貝塚です。宮坂貝塚は平成7年、鹿児島神宮が自動車道として山林を切り開いたとき発見されました。
貝塚の中からは、ハマグリ・カキ・アサリなどの貝殻のほか、鹿の角・石製の矢じり・土器の破片などが発見されています。遺物の鑑定により、宮坂貝塚の時代は今から7000年前の縄文時代早期と考えられています。鹿児島県内でも最古の部類に入るとみられています。
宮坂貝塚は市内の数少ない貝塚遺跡として貴重な遺跡です。
- 平成11年12月8日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町内1794、1804-1の一部

28.内山田の鼻んす(二連隧道)
隼人町西光寺の水天渕から取り入れられた宮内原用水が通っている2連のトンネルで、形状が人の鼻の穴に似ていることから、俗称「鼻んす」と呼んでいます。
小山の下を穿ち、中央を柱にして残し、左右にトンネルを開けています。トンネルの強度を保つため、 2本に分けて水を流す方法を採ったものと考えられます。
宮内原用水は、今から約300年前の正徳元年(1711)に起工し、正徳6年(1716)に完成しました。鼻んすもこのとき開通したものと思われ、江戸時代の土木技術と先人の水利開発の歴史を知ることができる史跡として市の文化財に指定されました。
- 平成17年7月6日指定(市指定史跡)
- 所在地:霧島市隼人町内山田1720

29.荒瀬城跡のイチイガシ
隼人町湯田の荒瀬城跡にあります。イチイガシは、幹の太さが地上1.5mの所で約6.2m、根回りが約10m余りあります。高さは約26mほどあります。
樹齢については、確定できる資料はありませんが、地元では「千年ガシ」と呼んでいるようです。
- 平成9年8月26日指定(市指定天然記念物)
- 所在地:霧島市隼人町西光寺207-2

30.JR肥薩線嘉例川駅駅舎 一棟
鹿児島県の鉄道は、明治34年(1901)に鹿児島〜国分(現隼人)駅間で開通し、2年後の明治36年(1903)に国分(現隼人)〜吉松間が開通しました。
これに伴い、嘉例川駅が開設され、明治36年1月15日に開業しました。
明治42年(1909)には吉松〜人吉間が開通し、昭和2年、隼人から人吉を結ぶ線は、「鹿児島線」から「肥薩線」へと名称を変更しました。
交通網の発達、自動車の普及など、時代の流れにより、昭和59年に無人駅となります。
平成15年、旧隼人町が駅舎を購入し、翌年には特急「はやとの風」の運行が始まりました。
開業103年目の駅舎は、当時の造りを色濃く残す歴史ある大変貴重な建物です。
- 平成18年3月2日登録(国の登録有形文化財)
- 所在地:霧島市隼人町嘉例川2176

|







