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概要

広報霧島 2014年2月号

その可能性は誰にでもあるその年の初春、私はこの重大で取り返しのつかない事故を起こしてしまいました。当時、私は19歳で専門学校に通っていました。その日、学校では先生方の離任式が行われることになっていたので、私は父親から車を借り学校に行くことにしました。遅れないようにと時間に余裕を持って出発したのですが、通勤ラッシュや様々な要因が重なり、遅刻しそうになってしまいました。急いでいて焦っていたこともあり、速度超過や無理な追い越し運転を続けていました。そして、学校に着く目前でとうとう事故を起こしてしまったのです。事故現場は、制限速度60㎞の道路でした。そこを時速約85㎞で走行し、速度を落とすことなくカーブに進入したことにより、後輪がスリップして対向車線にはみ出してしまい、走ってきた車と正面衝突してしまったのです。私はすぐに救急車を呼び、被害者の元へ駆け寄りました。そこには到底言い表わせない惨状が広がっていました。歩道まで飛ばされ横転した被害者の車、その車を運転していた方は挟まれ身動きもとれず、助手席に乗っていた方は車外に放り出され、数メートル先に血だらけで倒れていました。私は救急車の到着を待ちながら、被害者の方々の救護をしていました。やがて救急車が到着したのですが、私はただただ「助かってほしい」と祈りながら救助活動を眺めることしかできませんでした。その後、駆けつけた警察官に連れられ、警察署へ行きました。事情聴取の最中に、運転していた方が亡くなられたと告げられました。私はこれが現実とは思えず、視界の色が無くなった様に感じました。しかし、これは紛れもない現実で、私はすぐに逮捕、拘束されました。その後、保釈等はありませんでしたので、その間の謝罪や償いは、全て両親が行ってくれました。葬儀にも出席させて頂いたそうなのですが、その時の状況を想像すると本当に申し訳なく思います。何の責任もない両親を、私の愚行のせいで辛い思いをさせていることも、本当に苦しかったことの一つです。そのように両親が謝罪をしてくれている間、私はといえば謝罪の手紙を書くことしかできませんでした。その後裁判が行われたのですが、私の裁判はご遺族の方が参加しての裁判でした。その方が陳述した時は、一言、一言が胸に突き刺さるようでした。特に「母の料理は世界一でした。でも、もう食べることはできません」と言われた時は、涙が止まらず、自分の犯した罪がどれほど重大で、遺族の方々の人生を台無しにしたのかを知りました。本当に取り返しのつかない事をしてしまい、どんなに謝っても謝りきれません。私に下された判決は、危険運転致死傷罪により懲役3年以上6年以下というものでした。被害者やご遺族からしてみれば、到底納得のいくもの事故を起こしてしまった「加害者」。事故に巻き込まれた「被害者」。そして残された「遺族」。皆さんは「もし、自分だったら」と考えたことがありますか。誰もが加害者にも、被害者にも、遺族にもなる可能性があります。ここで紹介する手記は、事故を起こしてしまった人の反省の記録と、残された遺族の沈痛な思いを記したものです。この手記に込められた思いが、多くの方に伝わることを願います。加害者の反省の記録遅すぎた気付き広報きりしま 8