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概要

広報霧島 2014年2月号

一人息子が飲酒運転の犠牲になってから、12年と半年が過ぎた。この12年と半年の間に、世の中は変化した。息子の事故の当時に比べ、悪質な加害者への厳罰化が強化され、また、被害者支援への取り組みも法制化されるようになった。まだまだ十分ではないとは思うが、確実な進歩である。厳罰化、交通事故ゼロを目指しての取り組みが功を奏したのか、あるいは医療の進歩なのか、死者数は減っている。しかし、世間の交通事故に対する認識は、未だ「他人事」としているのが大方なのではないだろうか。被害者の悲劇をもっと伝えなければならないと思う。本人だけでなく、家族、友人、周囲へと悲劇は何年もかけて伝播し、その悲劇に終わりがないという現実があることを。それでも「日薬」「時薬」はあるかもしれないと思えるのは、当時の鮮血が噴き出すような悲しみや苦しみは今はないからだ。それらは決して消えたわけではなく、心の奥底に納まっている(居座っている)という感じだ。まるで休火山のマグマのように。何かのきっかけで、噴き出してしまう危険をはらんでいるといえる。実際にそうなったことが何度かある。それでも最近はずいぶんとコントロールできるようになったと思う。12年と半年という歳月のなせる業なのだろうか。今、動悸を抑えながら、当時のことを思い出している。事故の連絡を受け、警察署で見せられた血のべったりついた鞄と学生証。そして遺体確認。損傷がひどく、息子であって息子でなかったこと。ただ「違う、違う」と震えていたこと。感覚感情がマヒして涙がでなかったこと。葬儀で慰めの言葉に傷つき、心の中で「あなたのうちの子が死ねばいい」と悪態をついたこと。担当の警察官に「取り調べの時に、加害者に息子の無惨な遺体の写真を見せて!」と絶叫したこと。そして、加害者の裁かれる刑のあまりの軽さに「私が法律を変える!」と啖呵を切ったこと。加害者は当然だが、命の重みが反映していない法律に怒り、無関心な世間に怒り、「許せない!」と、あの当時は怒りが私の生きる原動力になっていたようだ。12年と半年の記憶が映画のシーンのように流れていく。多くが怒りと慟哭の場面であるが、そればかりではない。絶望にも喜びがあったのだ。それは紛れもなく心ある人たちとの出会いがもたらしたものだ。「ひとりではない」という思いが私を救い、失いかけた生きる意味を再び見いだせたのだと思う。それでも失ったものの代償はあまりに大きい。この車社会にあって、交通事故をゼロにすることは難しいのかもしれない。それでも飲酒運転を始め、悪質な運転はゼロにできると、私は信じている。そのために私にできるかたちで取り組んでいるところだ。息子の理不尽な死を無駄にしないために。何より私が生きていくために。K・S山口県警察「虹のかなたに」よりではなかったと思います。私は今、市原刑務所で様々なことを考えながら、日々反省し、少しでも改善更生できるようにと生活しています。私の自分勝手で愚かな行いのせいで一人が亡くなり、一人が後遺症の残る重傷を負い、ご遺族の方々には計り知れない深い悲しみを与えてしまいました。出所後も、謝罪と償いを続けていきます。むしろ、出所後からが本当のスタートだと思っています。私は、事故を起こし、また、刑務所に入ってから様々な事に気付きました。ルールを守ることの必要性、家族の大切さ、何気ない日常がどれほど幸せか、そして命の尊さ。取り返しのつかない事をしてから、やっとこの当然の事に気付いたのです。気付くのが遅交通死亡事故多発中もし、自分だったら過ぎました。この手記を読まれた皆様、自分は大丈夫という気持ちは捨て、遵法精神と思いやりを持って運転に臨んでください。あなたの運転が、多くの方の人生を大きく左右するかもしれないのです。手遅れになる前に気付いてください。K・O 学生(22歳)?東京交通安全協会「贖いの日々」より遺族の沈痛な思い衝撃のあの日から9 Kirishima City Public Relations, 2014.2, Japan