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概要

広報霧島2014年7月号

?日本舞踊などを参考に、日本人に合った“和”の動きを取り入れた体の使い方を指導する佐藤監督 ?ランニングフォームチェックのため、動画撮影する美保コーチ ?緑に囲まれた上野原縄文の森のコースがお気に入りと話す(左から)三原志穂選手、佐藤監督、美保コーチ、古瀬麻美選手17 Kirishima City Public Relations, 2014.7, Japan辛しん辣らつな言葉が並び、ずいぶんたたかれました」。そこから一転、練習方法を変え、悔しさをばねに血のにじむような努力を重ねます。そして、翌年の世界陸上ベルリン大会では粘り強いレース展開で6位入賞。「選手時代で一番うれしかった」といいます。三重県出身の美保コーチも中学1年から陸上を開始。大学卒業後は京セラ㈱に入社し、いい成績を残すものの記録が伸びてきた矢先にヘルニアの手術。1年間の苦難のリハビリ生活を乗り越え、アテネ五輪に出場しました。そんな陸上一色の生活を送ってきた二人は、同じ大会に出たことがきっかけで距離が近づき、平成19年に結婚。その後もアスリート活動を続けていましたが、転機が訪れます。平成23年3月11日、東日本大震災の影響で発生した福島第一原子力発電所事故。佐藤監督の故郷で起こった事故でした。一年後、佐藤監督は中国電力を休職し、活動拠点を福島に京都市から霧島市へ14年ぶりに活動拠点を移した京セラ女子陸上競技部。昭和57年に鹿児島県で誕生し、全日本実業団対抗女子駅伝では4度日本一に耀くなど優秀な成績を残しています。平成12年に京都本社へ移転後は成績が低迷したこともあり、今回、再起を図る場所として霧島市が選ばれました。古豪復活の旗振り役として白羽の矢が立ったのは、元五輪マラソン日本代表の佐藤敦あつ之しさん(36)。佐藤さんを監督に、元五輪800㍍日本代表の妻・美保さん(36)をコーチに迎え、京セラ女子陸上競技部は今年、再始動したのです。福島県出身の佐藤監督は、中学1年のときに陸上を始めました。中学時代から全国優勝を果たすなど実績を重ね、早稲田大学卒業後は中国電力㈱に入社。多くの大会で好成績を収め、平成20年には北京五輪に出場します。しかし、過度の練習による調整不良で、完走はしたものの最下位。「夢の舞台での失敗。新聞には移します。「ふるさとのために何ができるか考えて出した決断でした。妻と一緒にスポーツ教室や講演会を繰り返し、少しでも福島に元気を取り戻してもらおうと奔走しました。そこで学んだ人の心に寄り添うことの大切さは、指導する側に立った今、とても役立っています」今年4月、二人は京セラ女子陸上競技部の監督とコーチに就任。5月から部員2人を引き連れて、霧島市での活動がスタートしました。「霧島は豊かな自然、おいしい食べ物、さまざまなランニングコースなど魅力あふれる場所。日本一、走りたくなるまちかもしれません」と美保コーチ。佐藤監督が続けます。「初めて指導者という立場に立ち、プレッシャーもありますが、波乱万丈の選手経験と福島での経験を生かして選手を育てていきたい。そして“世界で戦う強い京セラ”の復活と、オリンピックのひのき舞台で光輝く選手の姿を見せたいですね」。福島では大学にも通い、低酸素トレーニングの研究をした佐藤監督。現在、国分工場内の研修センターにトレーニング機材を導入しています。選手時代からのストイックな性格は今も変わらず、毎朝5時半からの練習に備えて、午前2時から練習計画を練ることも。いつも前を見て走り続ける佐藤監督。見守る美保コーチと共に霧島での新たなレースが始まりました。??強い京セラ復活への一歩霧島から世界を目指す?