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概要

広報霧島2014年7月号

鹿児島県指定文化財「正しょう宮ぐう造つくり替かえの石い し燈どう籠ろう」四、正宮造替の石燈籠石燈籠の高さは百九十八㌢と大きく、2つの脚で中ちゅう台だい・火ひ袋ぶくろ・笠かさ石いしを支える非常に珍しい形をしています。脚の形が琴の糸を支える琴こと柱じに似ていることから「琴柱燈籠」とも呼ばれており、製作年が明らかで、補修や欠損がなくほぼ完全な形で残っています。また、前述したとおり、脚の表面には本殿改築についての銘文が刻まれており、建て替えの詳細を明らかにする貴重な資料となっています。さらに、笠石には深々と三体の梵ぼん字じ(釈しゃ迦か如にょ来らい・阿あ弥み陀だ如にょ来らい・観かん音のん菩ぼ さつ薩)が刻まれているなど仏教の影響が色濃く残る石燈籠にもかかわらず、明治の初めに起きた廃仏運動による破壊から奇跡的に免れました。このように、正宮造替の石燈籠は、神宮の夜を照らす常夜灯としての役目を果たし、その後も社殿の歴史を伝える語り部として、今日まであり続けているのです。(文責=鈴)九州全域でも大宰府天満宮本殿に次ぐ大きさ。絵画や彫刻も※4 龍りゅう柱ばしらを代表するように華やかで優美な装飾を施していることから、平成二年三月、鹿児島県指定有形文化財(建造物)となりました。三、正宮造替の様子今回、指定された石燈籠は、社殿改築を記念して宝暦六年五月に献灯されたもので、鹿児島神宮拝殿西側の中庭にあります。石燈籠の脚部には鹿児島神宮建て替えの様子が詳細に刻まれています。要約すると次のとおりです。? 慶長六年に立て替え? 百五十年余り経過してシロアリの被害 ? 石段の改築? 牧園の踊おどりから楠くすのきを切り出す? 隼人の真孝から杉を切り出す? 宝暦五年春に着手? 宝暦六年※5 夏に完成? 四月六日に※6 遷宮祭を行う? ほかの建物も造り替えた? 記念して常夜灯を一基建立うになり、鹿児島神社は大隅正八幡宮と呼ばれるようになりました。平安時代後期から鎌倉時代になると、田畑を神宮に寄進する人が増え、一時期は島津領を凌りょう駕がするほどの広大な寺領と勢力を有するようになりました。二、鹿児島神宮の造営鹿児島神宮の社殿は、幾度となく建て替えられましたが、現在のような造りの社殿は、慶けい長ちょう六(一六〇一)年に造営されました。しかし、百五十年余りの歳月が過ぎ、本殿や拝殿にシロアリによる被害が生じたので、宝ほう暦れき六(一七五六)年に建て替えられ、現在に至っています。社殿の特徴としては、本殿・拝はい殿でん・勅ちょく使し殿でんが一直線上に並び、柱も六尺五寸の等間隔に建っています。これは、三社殿を一体として考える思想があったと思われ、全国的に見てもまれな設計思想で建立されています。また、本殿の規模は県内最大で、平成二十六年四月二十二日、鹿児島神宮の境内にある「正しょう宮ぐう造つくり替かえの石いし燈どう籠ろう」が、鹿児島県指定有形文化財(建造物)となりました。霧島市では、13件目の県指定文化財となります。今回は、この正宮造替の石燈籠について紹介します。一、鹿児島神宮鹿児島神宮は、かつては「大おお隅すみ正しょう八はち幡まん宮ぐう」「国分八幡」などと呼ばれ、今でも「オハッマンサー(御八幡様)」として地域の皆さんに親しまれています。延えん長ちょう五(九二七)年に編へん纂さんされた『延えん喜ぎ式しき』には※1 大隅五社の一つ「鹿児島神社」と記されており、日向・薩摩・大隅の三国の中では唯一の※2大社となっていました。大おお隅すみ国のくにの「※3 一いちのみや宮」として栄え、十世紀になり武士が台頭してくると、その守護神である八幡神を奉ずるよ※1 鹿児島神社、大穴持神社(国分広瀬)、韓から国くに宇う豆ず峯みね神社(国分上井)、宮浦神社(福山町福山)、益や救く神社(屋久島町)の5つ。 ※2 神社の格式で、大社、中社、小社とある。※3 律令国の中で一番格式の高い神社 ※4 龍の装飾が施された本殿前の柱。左右一対とされる。 ※5 旧暦四月一日は立夏 ※6 御神体を仮宮から本殿に移す正しょう宮ぐう造つくり替かえの石いし燈とう籠ろう脚部裏面に刻まれた文字笠石に刻まれた梵字広報きりしま 18histor y & national park