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概要

広報霧島2014年8月号

?孫のゆり菜さんにメイクするさつきさん ?日本からハワイに持っていった飾りなど ?ハワイの人もその美しさに驚いたかつら。つける人の顔の形などに合わせてつけ方を調整する ?日本にゆかりのある方がよく式を挙げるハワイの平等院 ?さつきさんに支度をしてもらい晴れの日を迎えたゆり菜さん?20歳のときにさつきさんが初めてオープンした店 ?さつきさんが初めて花嫁支度したときの写真。当時、美容師の格好はかっぽう着姿が定番17 Kirishima City Public Relations, 2014.8, Japanの毎日で、睡眠時間が2、3時間の日もざら、今考えるとぞっとするほど苦しい日々でしたが、家族の支えを励みに、我が武む者しゃ羅らに頑張りました」常にチャレンジすることを忘れないさつきさんは当時、はやりだした「サッスーンカット」をいち早く取り入れるために、働いてお金を貯め東京で2週間勉強、そしてまた働いて東京へ。さらには「トリートメントパーマ」が流行し始めると、頭皮と髪の毛にダメージを与えない独自の方法を編み出すなど、時代を先取るさつきさんの評判は瞬く間に広がっていきました。「今みたいに交通のアクセスは良くなく、講習会などに簡単に参加できませんでした。だから一回一回が勝負。絶対に習得するんだという強い思いで、毎回臨んでいました。新しいスタイルや技術、商品がどんどん作られます。時代に対応していかないと美容界では隼人町姫城にある「さつきブライダル」代表取締役の米德さつきさん(75)は、美容室をオープンして今年で55年、これまで1万組以上の花嫁支度を手掛け、中には著名人もいるなど、その技術は全国から注目されています。美容師を目指したきっかけは、髪結いをしていた母の影響。「花嫁さんの髪を結いたい」と中学校卒業後、鹿児島市の美容学校に通い、17歳からは実習のため隼人町日当山の美容室に住み込みで働きました。そのとき、出会った方と19歳のとき結婚。20歳で自宅の一部を改装し、鏡が2枚しかない小さな店をオープンしましたが、それからが苦労の日々でした。「当時、私はまだまだ技術が未熟で、お客さまに満足していただくために仕事が終わってから毎日、鹿児島市まで通い、技術を学びました。仕事と修行生きていけません」さつきさんが本格的に「花嫁支度」に参入したのが35歳のとき。髪結いやメイク、着付けなどを習得するために2年間、仕事後に鹿児島市まで通い勉強。休みの日には全国各地の講習会にも参加しました。「人生の晴れ舞台のお手伝いをさせていただく以上、失敗は許されません。そのためには技術を磨くしかありません。講習を受けないなんて損。店のスタッフには“10本の指に素晴らしい技術を与えて欲しい”といつも言っています。美を求める向上心と私の思いを受け継いでくれるスタッフがいたから55年間続けてこられました」さつきさんには残念に思うことがあります。それが“時代の流れ”。結婚式で和装をする人が減り、本格的な和装をできる美容師が減っています。何とかして日本の文化を守りたいと、若手の指導にも力を入れています。そんなさつきさんに先日、うれしいことがありました。それは孫のゆり菜さんの結婚式でのことです。「ハワイにある神社で式を挙げる孫の花嫁支度をするために、道具一式を持ってハワイに行きました。現地の方がその道具を興味深そうに見ていました。中でもかつらは“とてもきれい”と写真を撮る人がたくさんいました。和装で使うかつらは古来から受け継がれるもの。言わば日本の誇り。それを外国の方に認められて、あらためて日本文化の素晴らしさを感じました」髪結いや着付けなどの魅力を地域の方に伝えることができないかと模索中のさつきさん。「これからも日本の文化を守り、たくさんの方を美しくしたい。一生現役を目指して頑張ります」と、唯ゆい一いつ無む二にの美を求め、挑戦の日々は続きます。???????