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概要

広報霧島 2014年10月号

薩摩義士への思いを受け継ぐまち、海津市? 治水神社(海津市)平田靱負を祭神とする神社。隣接する観音堂には薩摩義士の位牌が安置される。? 油あぶら島じま千本松締しめ切きり堤てい(海津市)通称「千本松原」。宝暦治水工事で築いた揖斐川、長良川の背割堤約1kmに、およそ1,000本の松の並木が続く。工事の後、薩摩から取り寄せて植えたと伝えられ、昭和15年には国の史跡に指定された。? 宝暦治水之碑(海津市)宝暦治水顕彰のため地元有志の尽力により、明治33年に建立された。裏に宝暦治水の犠牲者の名が刻んである。? 海蔵寺(海津市に隣接する三重県桑名市)薩摩義士24人の墓がある。霧島市にゆかりがあるとされる山元八兵衛、井手上渡右衛門の墓も。? 木曽三川公園タワー(海津市)ここから海津市内を含む濃尾平野と雄大な木曽三川が一望できる。? 平田靭負翁の銅像(海津市)旧平田町(現海津市)は、平田靭負の名から命名された。平成7年に平田町誕生40周年を記念して輪わ中じゅう公園(現在の平田公園)に建立。? 水屋(海津市)河川が氾濫したときの避難場所として、母屋に隣接して建てられた。土盛りをして石垣を組み、高い場所に造られた建物には食糧や生活用具が備えられ、水が引くまでの間の生活の場となった。? 本ほん阿な弥み新しん田でん助じょ命めい壇だん(海津市)地主が水屋を持たない小作人のために造った助命壇(洪水時の協同非難場所)で、近隣では唯一現存する。霧島市と海津市は交流をより深めようと、1年間職員を相互に派遣する人事交流を平成20年度から行っています。今年4月から霧島市観光課で勤務する海津市職員の高田園子さん(27)に話を聞きました。教育・生活の中に薩摩義士「岐阜県では、みんな薩摩義士のことを知っています。私が育った旧海津町では小学校高学年になると宝暦治水工事のことを学び、遠足では治水神社や千本松原、木曽三川公園など関係の場所へ行きます。宝暦治水と薩摩義士にゆかりのある場所が観光地にもなっていて、その歴史は私たちの生活に根付いています」子どものころから鹿児島県を身近な存在に感じていたと言う高田さん。理由はほかにもあります。「私が通っていた東ひがし江え小学校、日にっ新しん中学校の校歌には“薩摩義士”という言葉が入っていました。まちで薩摩藩島津家の家紋“丸に十の字”を目にすることもあります。年配の方の中には“鹿児島に足を向けて寝てはいけない”と教える方もいるほど」鹿児島県の中でも姉妹都市として交流が続く霧島市に興味があり、人事交流職員に手を挙げた高田さんは「霧島市は想像していたとおり人が温かいまちでした。でも薩摩義士の歴史があまり知られていないところがあり、もったいなく感じました」と最初の印象について話します。「両市を結んだ宝暦治水と薩摩義士の歴史を霧島市の人たちにももっと知ってほしいです。そのためにも、この交流はより深く、長く続くことが大切。両市の架け橋になれるように交流職員として多くのことを学びたいです」海津市では、宝暦治水を伝える史跡を保存継承する「宝暦治水史蹟保存会」や、薩摩義士が工事完成を記念して植えたとされる千本松原の保全活動に取り組む「木曽三川千本松原を愛する会」などが活動を続けています。遠く離れた海津の人々の心に、何年経っても色あせない薩摩義士への思いがあります。海津市職員高田園子さん(27)13572468(写真:海津市提供)広報きりしま 4