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概要

広報霧島 2014年10月号

寛永19(1642)年から約300年に渡り、採掘が続いた山ヶ野金山。全国有数の産出量を誇り、薩摩藩の財政を支えていた、まさに“宝の山”でした。薩摩藩に宝暦治水工事の命が下った一因ともいわれる天降川川筋直し(1666年完成)の資金源も山ヶ野金山でした。全盛期には33の集落に1万2000人もの人が住んでいた山ヶ野地区。閉山後、過疎化が進み、今では約80人しか住んでいませんが、そこには消えない輝きがありました。歴史が息を吹き返す「私が子どものころは山ヶ野小学校があり、同級生が70人くらい。活気がありましたよ」と懐かしそうに話すのは、山ヶ野地区で生まれ育った吉井詢じゅんさん(79)。昭和28年の閉山後、山ヶ野小学校も昭和46年に閉校し、過疎化の波が押し寄せていました。平成12年、吉井さんは「金山のまちとしてにぎわった歴史を風化させてはいけない」と、地元有志と協力して史跡13か所のやぶを払い、案内板を設置しました。その後、山ヶ野金山文化財保護活用実行委員会が結成され、「まずは多くの人に金山を知ってもらおう」と平成13年度から山ヶ野ウオーキングを開催します。山ヶ野金山に、再び光を海津市では薩摩義士の歴史が子どもたちへの道徳教育に用いられていました。霧島市にも歴史を活用し、地域活性化への取り組みを続ける地域があります。横川町上ノの「山ヶ野地区」。繁栄と衰退を経験した山ヶ野の取り組みを紹介します。山ヶ野金山文化財保護活用実行委員吉井 詢さん(79)12坑道跡を興味深くのぞきこむ参加者温故心知山ヶ野の歴史を伝え続けたい広報きりしま 6