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概要

広報霧島 2015年1月号

〈随ずいそう想〉高校・大学に進み私たちも若かった。皆それぞれに希望を抱き、元気で充実した頃だったのだろう。山頂の標識を囲み、幸せそうなひとこまである。この写真は長い間、部屋の壁に飾ったままだった。振り返ってみると、後にも先にも、たった一度きりの記念すべき出来事だったのだ。春には、ミヤマキリシマ、ノカイドウ、野リンドウなどに魅せられた。えびの高原のホテルは憩いの場だった。そのホテルを私は結構気に入っていたが、今はもう無い。かつての場所さえ忘れてしまいそうだった。夏は、涼を求めて自ずと霧島の山へ足が向いた。秋、鹿児島に来て間もなく、えびの高原の名前の由来を教わった。以来ススキの季節には決まって韓国岳の登山道あたりで高原の秋を楽しんだ。さらに、霧島の温泉郷は、自信を持って勧められる。いつの間にか私の温泉ガイドブックは、済の印で埋まった。ちなみに、夫の気に入りはS荘だったようだ。夫の定年を機に、高千穂の峰に登ることも叶かなった。冬、不動池を見おろし、初めて霧氷に触れたときの感動は強く印象に残っている。霧島連山の雪景色も素晴らしい。特に私は、鹿児島空港の送迎デッキより望む雪景色が好きである。送る人、送られる人の心を一層、離さない。時に楽しい思い出ばかりではない。去年の秋、友人を高千穂河原へ案内した。自然を満喫し来年を約束して別れた。その一人が思いがけず今年6月に、あっけなく逝ってしまった。俳句の得意だった彼女から「きりしまの山」の句Profile私のきりしま山◎加治木 勝子2年前、夫が突然の病で他界した。寂しい悲しい日々は続いている。共に歩いた半世紀であったが、私は最近、この試練を乗り越えなければいけないと考える様になった。夫の部屋には、山の写真が遺されたまま。特に、霧島の山に関わるものが多い。思いを新たに、なかなか、整理に至らないでいた矢先「私のきりしま山」の募集を知り、思わずペンをとった。思い出深い写真の中に、30歳だった夫が生後4カ月の長男を抱き、同僚らと共に中岳へ登った。48年前の事である。(今にして思うと無謀だったと思う。若気の至りというのか当時は夫が格好よく見えた。)月日は過ぎ長男が高校総体全国大会に於いて、山岳部の主将を務めた。大学では、ワンゲル部、社会人となった今も変わらない友情が続いているようだ。山を愛する者の掟かもしれない。また、昭和60年7月、家族5人で韓国岳登山を試みた。子供たちは、を未だ聞いていない。霧島山は、世界に類のない単式群状火山である。昭和9年、日本初の国立公園に指定されて今年は80周年の記念すべき年である。その偉大さに驚いている。私は今70代後半、登山は無理だが「きりしまの山」に出逢ったこと、何より夫というつれ合いに恵まれたからこそ今日があると思う。まさに私だけの宝物である。2つの出逢いに感謝を込めて、これからも脈々と生き続けるであろう「きりしまの山」をやがて私も風に揺られて吹き渡ってみたい。昭和60年、家族5人で挑戦した思い出の韓国岳登山。長男の撮影で、卓二さん(右上)、勝子さん(右下)、次男、長女が写る。かじき かつこ(77)夫・卓二さんの定年退職後、平成8年に卓二さんのふるさと国分中央に移住。アウトドア派の卓二さんと旅行や登山を楽しみ、霧島山の魅力に触れる。2年前、卓二さん逝去。昨年から老人会のグラウンドゴルフに参加。卓二さんを思いながらも明るく日々を過ごす。※ 今回は、今年度開催した国立公園「霧島」指定80周年記念「私のきりしま山」作文・エッセーコンクールの最高賞、「霧島大賞」を受賞した作品を紹介します。(文章は原文のまま掲載しています)27 Kirishima City Public Relations, 2015.1, Japan