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概要

広報霧島 2015年2月号

生徒の本気に全身で応える国分南中の剣道場で生徒に手本を見せる澤さんなりの勝ち方を研究し続けました。練習は職場の剣道場だけでなく、剣道の達人が多い警察署を渡り歩きました。持ち前の敏びん捷しょう性と鍛え抜いた集中力で、たどり着いた技が出小手でした」数々の大会で良い成績を残し、昭和55年には七段を取得、日米親善剣道大会で助監督としてハワイ遠征に参加したことも。昭和60年、定年退職を機にふるさと国分に帰省すると、時を同じくして建設された国分南中学校剣道場で指導を始めます。「剣道で一番大切なことは礼儀。“礼に始まり礼に終わる”ことを子どもたちに学んでほしくて、厳しく指導してきました」と澤さん。自身の現役時代同様、指導に対しても一切の妥協を許しません。指導を始めて30年。国分南中の全国大会出場は7回に上ります。数年前からは「精神の訓練に役立つ」と、ほかの剣道場での練習や試合に参加した後は、必ず全員で会場のトイレを掃除します。これまで数多くの児童、生徒に接してきた澤さんが、彼らに願うのは「人の役に立つ人間になってほしい」こと。これは幼少の澤少年がいつも両親に言われていた言葉でした。「剣道を通して、彼らが芯のある人間に成長するよう全力でサポートしたい。そして歴史ある剣道に誇りを持ち、受け継いでいってほしいですね」悪いときには厳しく叱り、試合に勝ったときには一緒に泣いて喜ぶ。閉ざされかけた剣の道を切り開いてきた剣士は、後進のため今も歩き続けます。一瞬の動きも見逃さない鋭い眼光、道場に響き渡る気合いの声。相手が動いたところに小手を打ち込む剣道の技「出で小こ手て」を得意とし、若いころは「出小手の澤」として名をはせた87歳の剣士がいます。澤さわ公きみ雄おさんです。所属する市の剣道連盟では最高齢。それでも年齢を感じさせない行動力で、国分南中学校剣道部のコーチとして、毎日、生徒たちの指導にあたります。以前教えていた広瀬道場剣道スポーツ少年団には相談役として顔を出し、自宅では素振りの稽古をするなど自身の研鑽さんにも手を抜きません。叔父の影響で、澤さんが剣道を始めたのは8歳のとき。礼儀作法を重んじ、精神力も体力も養われる剣道にのめり込んでいきます。そんな澤少年の行く手を阻んだのが、第二次世界大戦でした。16歳になっていた彼は海軍航空隊に入隊。運よく生き延びましたが、終戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による武道の弾圧で剣道具一式を取り上げられてしまったのです。「物のない時代に苦労して手に入れた剣道具を没収され、死ぬほど悔しかったです。道具はなくとも剣道の伝統だけは絶やしてはならないと心に誓いました」と振り返ります。GHQ撤退後は剣道が復活。岡山県で働いていた澤さんは、剣道ができなかった約5年間を取り戻すかのように練習に打ち込みました。仕事は激務でしたが、どんなに忙しいときも練習を欠かしませんでした。「身長が低いので相手が大きいと面を打ち込まれます。元来負けず嫌いな性格の私は、自分澤さわ 公きみ雄おさん(87)8歳から剣道を始め、剣道一筋80年。教士七段。30年前から国分南中、広瀬道場剣道スポーツ少年団の指導に携わる。全国スポーツ少年団記念表彰、姶良伊佐地区体育協会功労者表彰など多くの表彰歴を持つ。剣道と書写と朝のラジオ体操が元気の秘訣。七段取得の記念に購入した剣道具を現在も愛用。国分広瀬在住。17 Kirishima City Public Relations, 2015.2, JapanTHE SCENE Vol.97霧島に生きる