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概要

広報霧島 2015年2月号

今年、終戦から70年の節目を迎えます。今でこそ多くの人が好きな歌を歌うことができますが、歌を自由に歌えない時代がありました。よみがえる記憶隼人の公民館講座で童謡や唱歌、世界の歌などを教えている今林三夫さん(75)。「ふるさと」や「仰げば尊し」など誰もが一度は聴いたことがある懐かしい歌を、今林さんのピアノの伴奏に合わせ大きな声で生き生きと歌う受講生の姿が印象的です。今林さんは歌唱指導のほかにも、歌詞の意味やその歌ができた時代背景などを、詳しく丁寧に教えていきます。幼少期に戦争を体験した今林さんは、当時のことを昨日のことのように振り返ります。「戦時中は歌を聴いたり歌ったりした記憶がほとんどありません。学校で『流行歌を歌わないようにしましょう』と教えられたことを覚えています。当時は、戦意を下げる行為は禁じられていました。自分より年配の方の中には、軍歌の『勝利の日まで』ばかり歌ったと話す人もいました。私自身も『※ 埴は生にゅうの宿』や『※庭の千草』などの英国民謡が日本語訳で歌われていた記憶があります。あのころは歌も全て国の管制下に置かれていました」その事実を裏付けるような体験もありました。「戦時中、歌った姿を見たことがなかった母が、戦争が終わると実に多くの歌を歌っていました。子ども心に、『知っていたけど、あえて歌わなかったのでは』と思い、どれだけ戦争が歌の自由を奪っていたか感じました」歌は平和の象徴戦争が終わり、今では誰もが自由に歌を楽しめるようになりました。大学で本格的に学んだ音楽の知識を生かし、歌を教える今林さんは、受講生の歌う姿からもそのことを感じるといいます。「笑顔で歌う皆さんを見ていると、私まで元気をもらえます。歌は楽しいから歌う。当たり前のことですが、それができない時代を知っているからこそ、そのありがたみが分かります」苦難の時代を経て、好きな歌を大勢で合唱する姿。それは平和の象徴の一つなのかもしれません。今林三夫さん(75)指宿市出身。宮崎大学学芸学部で音楽を専攻し、昭和37年鹿児島県の教員となる。平成2年、霧島吹奏楽団の設立にも力を尽くした。隼人町姫城在住。※洋楽が敵性音楽とされる中、日本語訳され親しまれていたこれらの曲は敵性音楽から除かれていた。自由になった歌声の歴史広報きりしま 6