ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

広報霧島 2015年3月号

デンなどを開催しています。三、キリシマツツジの里帰り昨年5月、「第1回全国キリシマツツジサミットin能登」が能登空港で開催され、そこで前田終止霧島市長がキリシマツツジの里帰りを提案。のとキリシマツツジの郷の協力で、同年11月に、霧島市役所お祭り広場と国分中央高校に移植されました。今回の里帰りをきっかけに、霧島市でもキリシマツツジの栽培が盛んになり、初夏の新緑が鮮やかな中に、緋色のツツジが霧島のまちを彩いろどってくれることを期待します。   (文責=鈴)江戸に比べて品質がやや劣る、と書かれ、キリシマツツジは江戸と関西の両所から運ばれてきたことが分かります。二、今に伝わるのとキリシマツツジキリシマツツジは大正から昭和初期にかけて、久留米ツツジやアザレア(西洋ツツジ)の台頭によって人気が衰えました。そのため、現在まで残る古木や古品種は共に数少なく、群馬県のつつじが岡公園や東京都の六りく義ぎ園えんなど、関東を中心とした庭園でしか知られていませんでした。しかし、石川県の能登地方には、樹齢百年以上の江戸キリシマ品種群の古木が286個体(平成19年調査)現存しており、広い地域でこれだけ多く保存されているところはありません。このツツジを能登地方では「のとキリシマツツジ」と呼んでいます。では、なぜ能登地方にこれだけのツツジが現存しているのでしょうか。その理由として、能登地方の気候・地質がキリシマツツジの育成する環境に適していたことや、ツツジの緋ひ色いろ(鮮やかな赤)が能登地方の景色と人々の心に合ったことなどが挙げられます。能登地方では、キリシマツツジの保護・保存、調査、研究、情報発信を行い、のとキリシマツツジを核とした特色あるまちづくりの推進などを目的とする「NPOのとキリシマツツジの郷」が平成21年に発足。学術調査の実施やツツジフェスティバル、※2 オープンガーマツツジ」について紹介します。一、のとキリシマツツジの由来江戸時代に伝来したキリシマツツジが今日まで鑑賞用として大切に育てられているのには、どんな理由があるのでしょうか。ツツジの栽培は、江戸時代の寛文から延宝年間(一六六一~一六八一)にかけて流行し、中でも「キリシマ」は最も高く評価され人気がありました。それは、日本で初めて出版された園芸書である『1※花か壇だん綱こう目もく』(一六八一)に掲載されたツツジ類一四七品種のうち十五品種に、伊藤伊い兵へ衛えが著したツツジの専門書である『錦きん繍しゅう枕まくら』(一六九二)には三三七品種のうち十九品種に「キリシマ」の名が付けられていることからも分かります。江戸で人気を博したキリシマツツジが能登地方に伝来した時期は今のところはっきりしませんが、江戸時代中期とされています。加賀藩(現在の石川県)の動植物を収録した『三国名物志』(一八〇四~一八一八)には「石つつ巖じ キリシマ 人家植ユ東都ノ産上品関西ノ産ハ下品ナリ」とあり、関西のキリシマツツジは二回にわたりキリシマツツジの広がりと由来についてお伝えしてきましたが、最終回の今回は、石川県能の登と地方で盛んに植栽されている「のとキリシ※1 草木200 種類以上の形状や栽培法を記したもの。 ※2 一定期間、個人の庭園を公開するもの。キリシマツツジと霧島 その?←第2回 全国キリシマツツジサミットin 霧島開催キリシマツツジを活用した地域づくりを推進する自治体・団体・一般の方々が集まり、キリシマツツジの魅力を全国に発信する大会が霧島で開催されます。?日時=4月18日(土)午後1時30分から?場所=霧島国際ホテル(霧島市牧園町高千穂)? 内容=国分中央高校園芸工学科によるキリシマツツジの研究発表、キリシマツツジに関する講演など。※ 申込方法などの詳細は、問い合わせるか市ホームページをご覧ください。※ キリシマツツジが咲く個人宅の庭を公開する「キリシマツツジオープンガーデン」も開催されます。問=全国キリシマツツジサミット実行委員会事務局(環境衛生課環境保全グループ内)?(64)0950石川県珠す洲ず市の個人庭園で大事に育てられている「のとキリシマツツジ」。一般に公開されている広報きりしま 18histor y & national park