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概要

広報霧島 2015年5月号

拳師京田さんがボクシングを始めたのは18歳の時。大学の先輩に誘われたのがきっかけでした。時代は終戦直後。まだ、ボクシングが「拳闘」と呼ばれていた頃です。今のように立派なグローブや用具もなかった時代。ひたすらに走りこみ、リングで拳を交わしながら技を磨きました。「ボクシングを始める前は、剣道をしていました。相手との間合いをはかりながらの1対1の真剣勝負は剣道と似通っており、すぐにのめり込みました。勝利したときの喜びがたまらなく、さらに性格は負けず嫌い。先輩の厳しい指導に何度倒れても無我夢中で練習に打ち込みました」 指導者としての信望と強い思い県外の大学を卒業後、鹿児島に帰ってきた京田さんは教師として頴娃高校に赴任。ボクシング選手育成のため、ボクシング部を創設します。京田さんの厳しい指導の下、生徒たちは実力を伸ばし、国体出場を果たします。その後もオリンピック選手を育て上げるなど指導力の評判は高く、異動先の鹿屋工業高校にも頴娃高校の生徒が練習に通うほどでした。学生からは「熱血監督。指導は厳しいが、常に的確なアドバイスをくださいます」そんな言葉が出てきます。指導をするときに、京田さんが最も大切にしている事があります。それは“基本”。「足の運び方や腰の使い方が拳の重さを決める。何度でも繰り返してボクシングの基本を身に付けていくことが実力につながります」と話します。リングの上でも常に選手に声を掛け、時にはげきを飛部室中に響く「パンッパンッ」と乾いた音。筋骨隆々な大学生のパンチをミットで受けているのは、京きょう田でん薩さつ夫おさん。現在87歳になる現役のボクシング監督です。鹿児島県ボクシング連盟の顧問を務め、60年以上県内のボクシング振興に携わり、多くの選手を育ててきました。第一工業大学で電子工学の助教授として教壇に立っていた京田さん。73歳で退官した後もボクシングの指導をするため毎週1回、鹿児島市から車で大学に通います。そんな京田さんの下では、大学生はもちろん、ボクシングの競技人口を増やしたいと熱心に後輩を指導する社会人選手や、5年後の鹿児島国体を目標にトレーニングに励む小学生まで多くの選手が日々汗を流しています。広報きりしま 16s l o w l i f e