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概要

広報霧島 2015年5月号

平成22年は6月下旬から7月上旬にかけて、日本列島付近に梅雨前線が停滞。霧島市や都城市、南大隅町付近を時間雨量100㍉以上の豪雨が襲いました。その結果、土石流やがけ崩れなどの土砂災害が発生。各地に大きな爪痕を残しました。平成22年7月3日の豪雨災害の概要平成22年7月3日未明、国分地区と霧島地区を結ぶ県道2号都城隼人線の通称関の坂(国分重久)付近では、道路脇を流れる手て籠ご川が氾濫。あふれた水が路面の下を侵食し、午前6時ごろには3か所が陥没しました。そのうち1か所は長さ約60㍍、幅約8㍍にわたり崩落。乗用車4台が約30㍍下に転落しましたが、運転手6人は転落する寸前に、駆け付けた消防局員らにより救出されました。同日、午前5時10分ごろには、霧島大窪湯ゆ之の宮みやの土砂崩れで民家の半分が押し流され、1人が亡くなっています。午後3時50分には霧島大窪の湯之宮地区全域と駅前地区の一部180世帯、463人の住民に避難勧告が出されました。この豪雨により霧島地区を中心に、30か所以上が通行止めになり、農地や農作物、河川の堤防や市道などに大きな被害がでました。消防局長の証言から分かる豪雨の特徴7月3日午前0時30分ごろ、激しく屋根を叩く雨音で目を覚ました霧島市消防局長(当時)の後ご庵あん博文さん(64)は胸騒ぎがしたといいます。「生まれてからずっと霧島川沿いに住んでおり、災害の予兆は自然が教えてくます。この日も川が増水し、川底の石がぶつかる音が家の中まで聞こえました。山から腐葉土が流れ出し、空気のにおいもいつもと違います。雨音で会話が聞こえなくなり、これは災害が起きると感じました」関の坂で車の中の運転手を救助したときは、路面を流れる濁流で現場に近づけないほどでした。「ここの地層のもろさを経験から知っていたので、崩落まで時間がないと焦りました。車ごと転落すると命はない、そう思い必死でした」そこには一刻を争う緊迫感がありました。その一方で、意外な事実があったことも漏らします。「豪雨となった霧島地区以外ではあまり雨が降らず、大きな被害は無かったと知り驚きました。地域の緊迫感に大きな差があったことをはっきりと覚えています」この証言に7・3豪雨の特徴が表れていました。後庵博文さん(64)昭和46年、旧霧島町役場入庁。国分市外2町消防組合を経て39年間、消防職に携わる。7.3豪雨災害では市消防局長として関の坂での救助の指揮をとり、6人の人命救助に貢献。NHKで全国放送された、被災した関の坂の動画(撮影:後庵博文さん)関の坂の道路崩落で車4台が転落。復旧までに1年4か月の歳月を要した。この間、春山への迂回を余儀なくされ、市民生活に大きな影響が出た霧島永水にある入いり水みず公民館そばの手篭川上流が増水で氾濫。民家が傾き、田んぼには泥水が流れこんだ土砂崩れや陥没のため、市道の (霧島永水の市道草くさ場ば線)3 Kirishima City Public Relations, 2015.5, Japan