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概要

広報霧島 2015年6月号

年に鋳ちゅう造ぞうされた鐘に「隅州台明寺、是青葉鳳笛之貢御所…」の銘文があることから、天智天皇巡幸の逸話は定かではありませんが、かなり早い時期から青葉の竹が献上されていたことが分かります。ダイミョウダケの特徴は、節と節との間隔が長いことから、横笛に適していることです。台明寺の境内に自生している竹を安易に切り出すことを禁じ、代々大切に守ってきたことが、青葉の竹の価値を高めてきたと思われます。6月から7月にかけては、ダイミョウダケの美味しい季節です。旬の食材に舌鼓を打ってみませんか。(文責=鈴)は少ないと思いますが、年配の方々は耳にしたこともあるのではないでしょうか。それは、明治の中ごろから「青葉の笛」という唱歌が小学校で歌われていたからです。唱歌「青葉の笛」一いちノの谷たにの いくさ破れ討たれし平家の ※2公きん達だちあわれ暁あかつき寒き 須磨の嵐に聞えしはこれか 青葉の笛これは、寿じゅ永えい三(一一八四)年の源平の戦いのとき、源氏方の熊くま谷がい直なお実ざねに呼び戻され、十六歳で一ノ谷の花と散った平たいらの敦あつ盛もりを偲しのぶ歌です。敦盛が持っていた笛「小さ枝えだ」は青葉の竹で作られたものであると伝えられています。三、 青葉の笛の由来では、どのようにして台明寺の竹を笛に使うようになり、青葉の笛と呼ぶようになったのでしょうか。江戸時代の後期に薩摩藩で書かれた『三さん国ごく名めい勝しょう図ず会え』には次のようにあります。天智天皇が皇太子のころ、九州巡幸でこの地に立ち寄り、「笛に使える竹はないか」と聞かれました。そこで台明寺の竹を青葉の付いたまま差し上げたところ、笛の音色が素晴らしかったので、以後、台明寺の竹を笛の材料として朝廷に送るように定められました。青葉の竹を献上するときは、竹を国分府中の※3鏡の池に浸しておき、葉の付いたまま姫城の妙見神社(現在は稲荷神社)に奉納してから、当時郡司であった税所氏が運送に従い都に上った、と書かれています。また、天てん慶ぎょう九(九四六)しい順にタケノコを次のように呼んでいます。①デミョウ(台明竹・大名竹)②コサン ( 小こ桟さん竹だけ・布ほ てい袋竹ちく)③カラ  ( 真ま竹だけ・唐から竹だけ)④ハッチッ( 淡は竹ちく)⑤モソ  (孟もう宗そう竹ちく)二、 青葉の笛日枝神社の境内に生えているダイミョウダケは、「青葉の笛」の材料としても知られています。青葉の笛というと、若い人で知る人前回は台明寺について紹介しましたが、今回は日ひ枝え神じん社じゃの境内に生えている「ダイミョウダケ」にまつわるお話をします。一、 台明竹か 大名竹かダイミョウダケは別名カンザンチク(寒山竹)ともいい、中国の南部が原産となっています。日本には大陸(中国)文化の導入期に遣隋使らによって伝わったといわれています。台明寺には創建時期に植えられ、ダイミョウダケが台明寺から全国に広がったので、「台明竹」と呼ぶようになったのではないかと考えられます。6月になるとダイミョウダケのタケノコが店先に並びますが、名札には「大名竹」と書かれているものを見受けられます。これは、ダイミョウダケがあまりにも美お味いしくて、殿様に献上したとか、昔は殿様しか食べられなかったなどの話から「大名竹」と書かれるようになった、という逸話があるようです。ちなみに、鹿児島では昔から美味※1  一番は平敦盛を。二番は平忠度(たいらのただのり)を歌っている。※2 平家の子弟、ここでは平敦盛を指す。※3 国分向花町の「鏡橋」あたりにあったと思われる。台明寺と青葉の竹 その?←全国竹の大会鹿児島県大会が霧島市で開催 全国の竹産業関係者が霧島に集まります。竹材の魅力を伝える講演会や、竹で作られた工芸品の展示即売会などが開催されます。? 日時=11月12日(木)? 場所=霧島国際音楽ホールみやまコンセール? 内容=竹産業関係の研究発表、竹製品の展示即売など問=林務水産課 ?(64)0938※1国分郷土館に展示されている青葉の笛広報きりしま 18h i s tor y & geo park