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概要

広報霧島2020年10月号

沙さん― バレーボールから離れていかがですか。新鍋:まだ恋しくなったりはしないですね(笑)。ボールは遊びで何回か触りました。― バレーボールを始めるきっかけは。新鍋:両親が少年団の監督をしていたので、幼稚園のときから練習について行っていました。小学校に入学して自然に自分も。― 小学2年生の時の夢に「五輪選手になること」と書いていますが。新鍋:多分母に言われて書いたと思います(笑)。バレーボール選手になりたいとは思っていましたが、仕事にするとは考えていませんでした。― それ以外の夢がありましたか。新鍋:中学生の頃はドッグトリマーです。職場体験でペットショップに行って、犬アレルギーだと分かり、諦めました。― 実業団入りを決めたのは。新鍋:高校3年生の頃、顧問の先生に言われて。それまでは自分が実業団に進めるとは思っていませんでした。― 競技を続けるために努力したことは。新鍋:久光に入団したときに先輩方のプレーを間近で見て、どうすれば生き残れるのかを考えた。身長も高くないので、まずは守りかなと。その中で、サーブレシーブに重点を置いて練習しました。― 実業団に入った当時、何歳まで現役を続けるかなど目標がありましたか。新鍋:3年くらい続けて、試合に出場できなかったらやめようと思っていた。2年目で出場するようになって、土日の試合が楽しみで仕方がなかったです。― 生活面で気をつけていたことは。新鍋:寮に住んでいたので、食事は栄養士さんが作ってくれました。24歳で一人暮らしを始めて、栄養のバランスを考えながら自分で作るようになりました。ただ好き嫌いが。― 野菜とかですか。新鍋:一番はトマトが嫌いで。疲労回復にトマトが良いと聞いて食べてみたけど1日しか持たなかったです(笑)。― 現役時代の一番の思い出は。新鍋:一昨年のVリーグ、東レとの試合です。フルセットで負けて、※ゴールデンセットを初めて経験しました。2試合目の後、更衣室に集まったときに、「今まで練習してきたことを信じよう」という声が出て、このメンバーで何年もやってきたから「できる」という前向きな気持ちになりました。― ロンドン五輪の思い出は。新鍋:大きな出来事でしたが、必死だったのであまり覚えていません。「自分ができることを一生懸命やる」それしか考えていませんでした。五輪に出てから、周りから求められるものが増えたように感じます。― そのことに対してプレッシャーはありましたか。新鍋:当時の久光の監督・中田久美さんもメダリストなので「メダリストはコートの中で輝かなければいけない」という言葉を聞いて、変わらなければと思いました。― 東京五輪を目指したのも中田監督だったから。新鍋:それは大きいです。久美さんとまをありがとう。※ Vリーグのプレーオフ準決勝・決勝は2戦方式。久光と東レが決勝戦で、1勝1敗となったため、2試合目終了後に1セット行った。そこで勝った久光が2018-19 のVリーグを制した。トとなった新鍋理沙さんが6月30日、引退会見を行い、11年間の現役生活に幕を下ろしました。いて新鍋さんにオンライン取材を行いました。→新鍋 理沙さんインタビューRISA SHINNABE SPECIAL INTERVIEW写真提供:久光スプリングス広報きりしま 8