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概要

広報霧島2020年10月号

新鍋理沙た一緒にバレーボールをしたいという気持ちがありました。― 引退会見で、東京五輪の延期を聞いたときの気持ちを「絶望」という言葉で表現していましたが。新鍋:東京五輪でやり切ろうという気持ちがあった。目の前まで来ていたものがまた1年となったときに、もう1年できるのか自信がなくなり引退が頭をよぎりました。― 右手の人差し指のけがが引退のきっかけだと思いますが。新鍋:だいぶ前に痛めたけがが、今年の初めに再び痛み始めた。全日本の合宿が始まったころには、テーピングしても痛くて、途中からは練習にも参加できない状態になった。手術も初めてで、術後もボールを触るのが怖かった。そう思う時点でだめなんじゃないかなと。― 引退を伝えたのは5月ですか。新鍋:毎年5月にある久光の面談で。「続けなよ」と言われなかったので、肩の荷が降りました。― 年齢も関係していますか。新鍋:若かったら違ったのかなと思う。年齢は関係ないという意見もあるけど、心身共にしんどいなと思うことが増えていました。― 競技から離れたいと思ったことは。新鍋:高校生までは時々やめたいと思っていた。小学5年生でチームを変えてから毎週遠征とか合宿になって、みんなで「明日絶対やめるって言う」とかふざけて話していましたね。高校ではいろいろあって、本気でやめたいと思っていましたが、転校先の高校で自分で考えてプレーをすることの楽しさを知りました。― 子どもたちへメッセージをお願いします。新鍋:自分がこうなりたいとか、こういう選手になりたいと思う気持ちが大事。それに向けて自分なりに頑張ってほしいです。また、これだけは負けないというものがあれば。例えば「今日はスパイクが決まらないな」と思っても、他で役割を果たせれば、気持ちが落ちることもなく、自信を持ってコートに立つことができるはずです。― 霧島市への思いを。新鍋:のどかな所なので、帰ってくるとほっとします。ワールドカップの時に牧之原小学校の児童からメッセージをもらって、応援してくれているのが本当にうれしかった。― 今後はどのような活動を。新鍋:「新鍋選手を見てバレーボールを始めました」と言ってもらえたことがうれしかったので、子どもたちとバレーの楽しさや体を動かすことの楽しさを一緒に感じることができたら良いですね。新鍋理沙さん(30)福山町出身。SAGA久光スプリングス所属。牧之原小学校1年のときにバレーボールを始める。国分南小学校のスポーツ少年団、国分南中学校を経て鹿屋中央高校へ進学。延岡学園に転校、卒業後久光製薬スプリングスに入団。平成23年、日本代表初選出。平成24年にロンドン五輪に出場し、銅メダル獲得に貢献。今年6月30日現役引退。たくさんの感動を女子バレーボール選手として平成24年のロンドン五輪に出場し、霧島市出身で初の五輪メダリス 今回、これまでのバレーボール人生と今後につ 9 Kirishima City Public Relations, Japan 2020.10, Vol.328