ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

広報霧島2020年12月号

のみで、他の地域ではお茶についての記述はありません。当時は、阿久根・吉松・都城のものが名品で、特に鹿児島で最初に茶の栽培を始めた吉松のものが一番良いとされていました。明治に入り、西南戦争で荒廃した鹿児島では、県外出身の加納久ひさ宜よし知事らが積極的な勧農政策を行い、農業振興を図りました。その中で、特産として製茶を奨励し、鹿児島の製茶業の礎が築かれました。現在の霧島市では、溝辺・牧園地区で製茶が盛んですが、主要な作物として整備されていったのは戦後。昭和40年代に畑の整備や加工施設が設置され、生産の集約が図られたことで、機械での大量生産が可能になりました。平成17年の合併で霧島市となり、各市町の名前の付いたお茶の銘柄を、県内で先駆けて平成19年に「霧島茶」に統一。有機栽培にも力を入れ、有機JAS認証の茶園面積が日本一を誇るなど、生産者の努力によってそのブランド力が高まっています。普段から何気なく飲んでいるお茶は、実は日本一のお茶。地域の人の努力によって生み出されたその味を、改めて堪能してみてください。(文責=小水流)この大茶樹は、樹齢と大きさから神聖視され、採れた茶葉は不老長寿のお茶として珍重されていたようです。茶摘みの際には、青年学校や女子青年団から40人の男女が選ばれ、一番茶は鹿児島神宮と霧島神宮に奉納されていました。昭和20年に日本一の大茶樹は枯れてしまいましたが、この大茶樹から大正初めごろに挿し木した「二代目」の大茶樹が現在も同地区の大茶樹公園内にあります。地域の人によってつながれた二代目茶樹も県内では最古・最大級で、市の天然記念物に指定。地域やお茶農家の手によって保存・活用されています。日本一の茶の産地霧島茶は全国茶品評会において、平成22年度からの10年間で7回の産地賞を獲得。日本一の茶の産地として実績を重ねています。しかし、その歴史はそれほど古くはありません。江戸時代に薩摩藩の名産などをまとめた『三さん国ごく名めい勝しょう図ず会え』では、踊おどり郷ごう(現在の牧園町)の名産に「茶」とある寒くなると煎茶を飲む機会が増える人も多いのではないでしょうか。お茶の生育には、霧が出る気候が良いとされています。その名のとおり霧深い霧島の土地では、品質の良いお茶が多く生産されています。そんな霧島のお茶に、新旧二つの「日本一」があることを知っていますか。日本一の茶樹牧園町持松の稼かせぎ原ばるに、かつて日本一と呼ばれた茶樹がありました。江戸時代の始めである寛かん永えい年間(1624~1644年)に植樹されたと言い伝えられ、樹齢は約300年。3株から成る木は高さ4・5㍍、枝が南北9・6㍍、東西7・5㍍に達する巨木でした。当時は日本一の大茶樹といわれ、昭和12(1937)年には「牧園村ノ大茶樹」として国の天然記念物に指定されました。The gateway to local history昭和12年ごろの初代大茶樹大茶樹公園内にある二代目大茶樹日本一の茶23 Kirishima City Public Relations, Japan 2020.12, Vol.332