ブックタイトル広報霧島2021年1月号
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広報霧島2021年1月号
失技法もう一度現代に岩切 學さん(76)国分出身。大学卒業まで錫器作りはほぼ未経験。現在は後継者を育てながら伝統を守り続けている。国分在住。平成9年に県の伝統工芸品として指定された薩摩錫すず器き。明暦2(1656)年に鹿児島市の谷山で錫鉱山が発見され錫器が作られるようになりましたが、当時は武家や商人が使う高級品でした。一般家庭でも使われるようになったのは錫の生産量が増加した明治以降とされ、その伝統は薩摩の地で磨かれ、今もなお受け継がれています。国分にある「岩切美巧堂」は、県内に数軒しかない薩摩錫器を製造する店の一つ。そこで薩摩錫器を作り続けて54年、卓越した技能者である「現代の名工」として昨年11月に厚生労働大臣表彰を受けたのが、取締役会長の岩切學さん(76)です。薩摩切子の職人と共同して革新的な商品を開発したことや、たゆまぬ努力で築き上げた技能が高く評価されました。岩切さんがこの世界に足を踏み入れたのは大学を卒業してすぐのこと。先代である父・登とう六ろくさんが急死し、兄・忍さんが店を引き継ぎましたが、経験は10年と錫器職人としてはあまりに短いものでした。そんな兄を支えたいと思い、父や兄と同じ道を歩み始めます。「兄を支え、岩切美巧堂を支える思いだった。薩摩錫器の伝統を途絶えさせたくなかった」と振り返ります。錫は比較的軟らかい金属のため加工しやすく、職人は手作業で厚さが均一になるように削っていきます。「目では分からないほど繊細な作業なので、カンナでたたいたときの音で判断します。初めは音の違いが分からず、なぜたたくのか分かりませんでしたが、20年ほど経ってようやく聞き分けられるようになりました」と懐かしむ岩切さん。「一番難しいのは合あい口くち加工。内ふたと外ふたをそれぞれ100分の1㍉単位で調整する作業は今でも神経を使います」と真剣な表情で話します。昭和初期にはほとんどの家庭にあったとされる錫器ですが、戦争で錫が必要になると工芸品としての錫はほとんど手に入らなくなり、伝統技能の多くが失われてしまいました。「今でも昔の作品が残っていますが、作り方が分からない。当時の技法を研究し、再現することが私のやるべきこと」と熱が入ります。作品の復元はうまくいくことの方が珍しく、何度も失敗してはそのたびに作品とにらめっこ。錫器以外にも、美術展などで昔の作品を見ることが好きで「模様や仕上げなど、昔の技術を知る上でとても参考になる。どうやって作ったのか、そればかり考えています」と岩切さんは思いをはせます。半世紀以上の時をかけて磨き上げた技術と感性によって、先人たちが築いた技法が現代によみがえる日もそう遠くないかもしれません。? 営業時間 月~土曜/午前8時~正午、午後1時~5時30分 日曜/午前9時~正午、午後1時~5時※12月30日?1月3日は休み。?場所=国分中央4-18-2?駐車場=10台、バス2台問=岩切美巧堂 ?( 45)0177錫製のひな人形約500点の薩摩錫器が並ぶ店内切子模様を施した薩摩錫器17 Kirishima City Public Relations, Japan 2021.1, Vol.334