ブックタイトル広報霧島2021年1月号
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広報霧島2021年1月号
ます。いまや品質の高さで有名な鹿児島の和牛。昭和45年に鹿児島県で開催された第2回※全国和牛能力共進会では国分和牛が日本一を獲得しました。来年10月には第12回共進会が鹿児島県で42年ぶりに開催され、牧園町が牛の改良の成果を競う「種牛の部」の会場となっています。牧園町の寺てら原ばる地区にある寺原豊とよ受うけ神社には畜産の神様が祭られています。境内にある「種雄牛 山丸号之碑」によると、昭和30年から11年間で鳥取県産の種雄牛・山丸号によって子牛4225頭が生産されたことで町の和牛の質が向上し、市場価値が高くなったと記されています。子牛1頭10万円と単純計算しても4億円以上です。農業も畜産も人間の力だけではなく牛のおかげで発展し、今日につながっているのですね。(文責=小水流)払うことで、田んぼの少ない牛根地区と共存していたのです。借りてきた当初は肥えていた「あげ牛」も返すときにはやせ細っていたようで、牛が農繁期にどれだけ働いていたのかが分かります。現在に残っている祭りからも、農業における牛の大切さを知ることができます。鹿児島で春にある御お田た植うえ祭さいでは、踊りや劇の重要な登場物として牛が出てきます。県の無形民俗文化財である「霧島神宮御田植祭」では、境内を田んぼに見立てて田植えなどを模擬的に行う田たの神かん舞まいが行われます。土を掘り返す田すきの場面では、牛の面をかぶった人が神しん牛ぎゅうを演じます。神牛面には「宝永三年七月吉日 鳥井重行作之也」とあり、作成年月日と製作者の名前が記されています。宝永3年は1706年ですので、面が300年以上大事に使用されていることからも、いかに牛が重要な役割を担っていたかが分かります。ちなみに、祭りで牛が登場するときは薩摩地域では牛の面、大隅地域では牛の人形が用いられます。食事と牛江戸時代以前は、仏教で獣の肉を食べることが長らく禁きん忌き行為だったこともあり、農業で必要不可欠な牛を食べることはありませんでした。明治になり、欧米文化が入って文明開化が起こると、牛鍋が東京で流行。全国で食べられるようになります。戦後、食文化が欧米化する中で食用牛の畜産が広がり、鹿児島県、霧島市でも和牛の生産が増えていき今年の干え支とは「丑うし」です。その干支にちなんで、今回は牛 (鹿児島弁で「べぶ」)の歴史について紹介します。農業と牛日本人にとって牛は昔から大事な存在でした。稲作と同時期に牛も日本に持ち込まれたといわれるように、農業と牛は切っても切れない関係です。昔は牛に馬ま ん鍬がを付け田畑を耕し、農作物などの重い荷物も牛に載せて運んでいました。馬と並んで農家にとって必要な存在であり、財産でもありました。一家に牛と馬を1頭ずつ持っている農家がほとんどで、裕福でない農家は牛を借りていたようです。『霧島町郷土誌』には、霧島田口辺りで牛を持っていない人は、田植えの時期だけ牛根地区(垂水市)辺りから牛を借りていたという記述があります。これを「あげ牛」と呼び、3農家で1頭を借り、借り賃はお米で支The gateway to local history霧島神宮御お田た植うえ祭さいの田た の神かん舞まいで登場する神しん牛ぎゅう牧園町の寺てら原ばる地区にある寺原豊とよ受うけ神社牛べぶ今こそ、隼人「隼人」について、展示数を増やし、分かりやすい説明付きで展示します。?期間=12月28日(火)まで?場所=隼人塚史跡館(隼人町内山田287?1)?入館料=大人150円、高校生以下80円※「記念物百年」展も3月31日(水)まで同時開催。隼人塚史跡館特別企画展27 Kirishima City Public Relations, Japan 2021.1, Vol.334 ※5年に一度、全国の銘柄牛が一同に会する品評会。種牛の部と肉牛の部があり「、和牛のオリンピック」と称される。