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概要

広報霧島2021年2月号

あると信じられてきました。日本の神話では、イザナギが黄よ み泉の国くにで鬼に追いかけられたときに桃を投げて逃げ切ります。このようなことから、桃から生まれた桃太郎が鬼退治に行く昔話が誕生したと考えられます。豆をまいて鬼を追い払うというのは江戸時代になってからのことでしょう。節分で注意したいのは、昔の人々は鬼を追い払うのであって、滅ぼすのではないということです。桃太郎は鬼を懲らしめますが、滅亡させてはいません。前述のとおり鬼は、はやり病などと考えられてきました。昔の人々は無意識のうちに鬼を滅ぼすことはできないと思っていたのでしょう。(文責=坂元)によって決まります。なぜ変動するかというと、暦の上での1年は365日ですが、地球が太陽の周りを1周するには、365日と数時間かかるので、その分立春が遅くなっていきます。うるう年は1日多いので、4年前よりも少し早くなるという計算になります。こうして毎年節分の日が決まります。節分の成り立ちと鬼節分はもともと中国の宮中行事で、日本の宮中にも取り入れられた追つい儺なという行事と関係があるようです。追儺は大みそかに行われる儀式で、鬼やらいともいいます。追儺は桃の木で作った弓で鬼を追いかけ回して外に追い出します。この鬼は悪い気のことで、はやり病などが起きないようにするためや、鎮めるために行われたとされます。この行事は江戸時代頃に宮中を離れ、鬼を追い払う節分行事に取り込まれたようです。江戸時代の後期に鹿児島を訪れた江戸の講談師・伊東凌りょう舎しゃが著した『鹿児島ぶり』で、鹿児島城下で熱病が流行すると、鬼や山伏、怪物などの大きな人ひと形がた(熱病神)を町ごとに紙で作り、ほら貝を吹くなどして追いかけ回し、最後は浜で焼き捨てる風習があることを紹介しており、鬼やらいの名残ではないかと述べています。鬼を追い払うことに使われていたものは元々豆ではなく桃でした。桃は中国では邪気や鬼を制する果物で毎年2月の初めに節分の豆まきをする家庭も多いのではないでしょうか。子どもの頃、豆がとても好きだった私は、歳の数だけ豆を食べるという風習に納得がいかず、もっと食べたかった記憶があります。節分はその名のとおり季節を分けるという意味があり、立春の前日に当たります。立夏、立秋、立冬の前日も節分に当たりますが、江戸時代以降は立春のみ残っており、旧正月に近いからという説が有力です。今年の節分は2月2日でした。節分が2月3日以外になるのは昭和59(1984)年2月4日以来37年ぶり、2月2日になるのは明治30(1897)年2月2日以来124年ぶりのことです。節分は2月3日と思っている人が多いようですが、国立天文台のホームページによると、節分は固定された日付ではなく、立春が定まれば節分の日も定まります。立春や立夏などの日付は、太陽と地球の位置関係The gateway to local history伊東凌りょう舎しゃ『鹿児島ぶり』より「熱病神之図」節分と鬼今年の節分23 Kirishima City Public Relations, Japan 2021.2, Vol.335