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概要

広報霧島2021年3月号

はないでしょうか。もう1点は、石塔の真下から木造塔の心しん礎そと思われる大きな石が見つかったことです。心礎とは、木造塔の中央にある心しん柱ばしらという一本の柱を受ける礎そ石せきのことです。長年所在が分かっていなかったのですが、今回見つけることができました。中央には、柱を固定するための?ほぞ穴あなと思われる直径約27㌢の穴があります。穴の大きさから考えるとあまり大きな塔ではなさそうですが、それでも京都や奈良の寺院にあるような木造塔が建っていたのではないかと思うと、感慨深いものがあります。恐らく木造塔が老朽化した際に、経済的な理由で再建を諦めて代わりに石塔を建立したことから、心礎の上に建てられたのではないでしょうか。残念ながら心礎は動かされた形跡があり、本来の場所かどうかは定かではないため、取り出すことにしました。その後は石塔の安定を図るため、コンクリートの基礎を設置しました。今回の修復は石塔の保存だけでなく、新たな発見もあり、重要な史跡であることを再認識することができました。皆さんもこの機会にぜひ訪れてみてください。(文責=坂元)が進んでいた部分が硬化し崩れにくくなったので、擬石での補修も取りやめました。どこがきれいになったかよく分からないかもしれませんが、元の形で残すことを優先しました。隼人塚とは修復方法が異なりますので、ぜひ違いを見比べてください。解体での新たな発見石塔を解体して新たな発見がありました。銘文が彫られている2層軸石の真ん中に縦約30㌢、横約17㌢、深さ約7㌢の穴が開いていました。これは「舎しゃ利り納のう入にゅう孔こう」などと呼ばれているものです。釈しゃ迦かの遺骨である舎利(仏ぶっ舎しゃ利り)を納めるために開けられます。この石塔が建てられた時代には、なかなか舎利を入手することができなかったことと穴の大きさから、代わりに経典を納めていたので令和2年11月号の『広報きりしま』の郷土史への扉でお知らせしたとおり、隼人塚と大隅国分寺跡は、国の史跡指定から3月3日で100年を迎えました。今回は今年度実施した、大隅国分寺跡の石塔修復について紹介します。想定を上回る風化修復ではまず、石材に影響を与えるコケなどの蘚せん苔たい類や地ち衣い類を取り除きました。作業して分かったのは、想定していたよりも石材の風化が進んでいたことです。石が土のようになり、溶け出している状態を土壌化といいます。石材は?離している部分が多く、その隙間にコケなどが入り込み、さらに土壌化が進んでいました。風雨の当たりやすい笠石の傷みが特に激しかったので、当初は石材の強化剤を塗るだけの計画でしたが、笠石を強化剤に浸しました。土壌化The gateway to local history石塔の実測図(各部の名称)国史跡指定100年中央に舎しゃ利り 納のう入にゅう孔こうがある2層軸石石塔の下から見つかった心しん礎そ(写真中央)欠損部分相そう輪りん6層笠石5層笠石4層笠石3層笠石2層笠石6層軸石5層軸石4層軸石3層軸石2層軸石初層軸石基礎大隅国分寺跡初層笠石23 Kirishima City Public Relations, Japan 2021.3, Vol.337