ブックタイトル霧島市市勢要覧2014
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霧島市市勢要覧2014
国内最古・最大級の集落跡上野原台地の北側で発見された約9,500年前の集落跡は、「竪穴住居跡」52軒、くん製作りなどをする施設と考えられる「連穴土坑」16基、石蒸し料理などを作る調理場と考えられる「集石」39基、食料の貯蔵や埋葬などに使用されたと考えられる「土坑」260基と2条の道跡などで構成されています。当時既に土地利用に規則性のようなものがあった可能性が考えられ、集落構造が分かる遺跡としては全国でも最古級で、ムラを形成し始めた初期の様相を知ることができます。集落で使われていた土器は、前平式土器と呼ばれるものです。形状には円筒形と角筒形があり、特に角筒形は全国的にも珍しい土器です。石器は、狩りの道具である石せき鏃ぞくのほかに植物加工具である磨すり石いし・石皿類、伐採具である石せき斧ふなどが出土しています。磨石・石皿が非常に多く、当時の植生は落葉広葉樹が中心で周辺には木の実がたくさんあったと考えられます。先進的な南の縄文文化上野原台地の南側で出土した約7,500年前の遺物、767点が国の重要文化財に指定されています。口縁部に赤色顔料が付着し、対で埋納された壷形土器や土偶、大型の土製耳飾り、絵のような線を刻みこんだ線刻土器などの多種多様な土製品や石製品が出土し、成熟した豊かな精神文化があったと考えられます。上野原遺跡は縄文時代早期の南九州の文化を考える上で極めて重要な発見が相次いだ遺跡です。上野原遺跡(国指定史跡)国内最古・最大級のムラ約9,500年前(縄文時代早期前葉)の住居群などを有する「上野原遺跡」は、南九州地域における定住化初期の様相を示す大集落で、日本列島の縄文時代開始期の重要な遺跡です。「上野原縄文の森」では、上野原遺跡について学ぶことができます。旧記によると、6世紀中ごろに慶胤(けいいん)という僧が、高千穂峰と御鉢との中間の背門丘(せとお)に、社殿を奉斎(ほうさい)したのが初めであるといわれます。1715年、薩摩藩主島津吉貴公の寄進によって現在の社殿が建てられました。本殿にはニニギノミコト以下七柱が祀(まつ)られており、本殿、幣殿、拝殿、登廊下、勅使殿、門守神社までの主要社殿がセットで残されている点が貴重です。また、敷地の高低差を利用した社殿配置は、見る方向によって社殿の表情が変わり、華やかな装飾と共に壮麗な美しさを創り出しています。霧島神宮天上界から神が地上に降り立ったといわれる「天孫降臨」の第一歩を記した高千穂峰から、日本の建国神話とその歴史が始まったと伝えられています。国や県の文化財に指定されている荘厳な風格天孫降(国指定重要文化財)りしき貴重な資料が並ぶ管内の展示室鹿児島県上野原縄文の森屋外には当時の集落を復元8