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概要

霧島市市勢要覧2014

社伝によると和銅元(708)年の建立とされ、延喜式(えんぎしき)には、「桑原郡一座 大 鹿児島神社」とあります。その後「大隅正八幡宮」と称され、大隅国の一宮として栄え、明治7( 1874)年に「鹿児島神宮」となりました。現在の社殿は、宝暦6(1756)年、島津重豪(しげひで)によって再建され、本殿・拝殿・勅使殿は、県指定有形文化財となっています。神宮周辺には、神職の館跡や明治初頭に壊された弥勒院(みろくいん)跡が地中に残っていることから、平成25年10月「大隅正八幡宮境内及び社家跡」として、国指定史跡となりました。鹿児島神宮臨神話大隅国建国と霧島市天降川流域の火か 砕さい流りゅう堆たい積せき物ぶつ(県指定有形文化財)今から約1,300年前の奈良時代初頭、南九州には「隼人」と呼ばれる独自の風習を持った人々が住んでおり、朝廷が進める律令制に抵抗していました。そこで朝廷は隼人の力を削ぎ、律令国家の構築を進めるために、分国を行います。大おお隅すみの国くにの建国については、『続しょく日に本ほん紀ぎ 』の和わ 銅どう6( 713)年4月の記事に「日ひゅうがの向国くにの肝きも坏つき・囎そ唹・大おお隅すみ・姶あいらの四郡を割さ きて、始めて大隅国を置く」とあり、それまで日向国に属していた4つの郡で大隅国が造られたことが分かります。大隅国の建国によって、政治の中枢である国府が当地(国分府中が有力)に置かれ、大隅国分寺や韓から国くに宇う豆ず峯みね神社、台明寺、祓はらい戸ど 神社、大隅正しょう八幡宮( 鹿児島神宮)など多くの神社仏閣も建てられました。当地は政治・経済・文化・宗教の中心地として発展し、今日の霧島市の基礎を成しました。りしまのかしきむ天降川中流域の河川の底は、加か久く藤とうカルデラ(えびの盆地・約30万年前)の火砕流堆積物をベースに、阿あ多たカルデラ(指宿地域・約10万年前)と姶あい良ら カルデラ(錦江湾・約29,000年前)噴出の火砕流の地層が連なって露出しています。ここは、九州の5大カルデラ(ほかに鬼界・阿蘇)噴火のうち、3つの火砕流堆積物が見られる、地質学的に大変貴重な地域です。また、軟弱な溶よう結けつ凝ぎょう灰かい岩がんの河底は、流水で回転した軽石などに削られて穴ができ、さまざまな甌おう穴けつをつくり出しています。ここの甌穴群の特徴は、甌穴形成の初期の段階から穴が大きくなって一つにつながり溝や谷間を形成するなど、甌穴の発達過程を見ることができ、学術的にも教育における野外標本としても大変貴重なものです。平成25年3月、「天降川流域の火砕流堆積物」として、国の天然記念物に指定されました。国の重要文化財なども展示国分府中の気色(けしき)の杜(もり)遺跡から出土した全国的にも珍しい仮名墨書土器9