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更新日:2025年12月18日

狭名田の長田伝説

狭名田写真

狭名田の長田(さなだのおさだ)は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がはじめて水稲を作られた田であるといい伝えられ、日本最古の水田であるといわれています。瓊瓊杵尊のお后である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)をお生みになったときに狭名田と名付けたと云われます。

島津斉彬のころ、この地に田の神が建立され、大正4年、村人たちによって「狭名田の跡」という石碑が建てられました。昭和4年、霧島神宮の神田として永く保存されることになりましたが、昭和21年の農地法によって一時は民有地になりました。しかし、平成8年に神宮の神田として再び保存されることになりました。狭名田の跡付近一帯を狭名田の長田といいます。神代の昔、ここにはじめて稲をまき彦火火出見尊がお生まれになった時、その新穀をとり祝ったともいわれています。また、母乳が足りなかったので、甘酒を作って育てられたともいわれています。

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