ホーム > 歴史・神話・伝説・文化 > 坂本龍馬のハネムーン

ここから本文です。

更新日:2021年10月25日

坂本龍馬のハネムーン

慶応2年3月、寺田屋事件で九死に一生を得た坂本龍馬は、西郷隆盛らのすすめで、妻お龍とともに塩浸温泉で傷をいやしながら霧島に遊び、二人の生涯で最も楽しい生活をおくりました。これが日本の新婚旅行の始まりと言われています。

幕末の志士坂本龍馬が、恋女房のお龍を伴い、この地に遊んだのは有名な話。今でいえばハネムーンのはしりでしょうか。絹ごしのようなさわやかな空気、清らかなせせらぎ、美しい自然、そして心あたたまる人の情、それらすべてが龍馬の心をとらえたのでしょう。姉(坂本乙女)にあてた手紙の一節に「げに、この世の外かと思われるほどのめずらしきところなり。ここに十日ばかりも止まりあそび、谷川の流れにてうお(魚)をつり、ピストルをもちて鳥をうつなど、実におもしろかり…(略)」とあり、龍馬夫妻は飛沫はげしい犬飼の滝を訪れ、更に神話の地高千穂峰まで足を延ばして、天の逆鉾をみて、「その形、たしかに天狗の面なり。二人大いに笑いたり…」とユーモアのある面をのぞかせています。

この年、龍馬の奔走により、西郷・大久保・木戸と会い、ここに薩長同盟を成立させるという大役を果たしています。お龍というのは、有名な「寺田屋事件」の寺田屋の養女、寺田屋は薩摩藩の船宿でした。勝海舟の使者として、西郷と会った龍馬は、その後薩摩藩の保護を受け、西郷とは公私ともどもの交際をするようになりました。また、高千穂峰に登った時、硫黄谷温泉にも泊まったと言われています。

(注)坂本龍馬夫妻がこの地を訪れたのは、慶応2年(1866年)3月のことで、二人は大坂から蒸気船に乗り込み、長崎を経て十日に鹿児島に到着。それから、日当山・塩浸・栄之尾を経て高千穂峰に登っています。文中のピストルは、寺田屋で幕吏と死闘の際に使用したものであると言われています。

坂本龍馬と霧島市のゆかりについては、「龍馬・お龍日本最初の新婚旅行地 霧島市」をご覧ください。

お問い合わせ

商工観光部観光PR課観光振興グループ

〒899-4394 鹿児島県霧島市国分中央3-45-1

電話番号:0995-64-0895

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?