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更新日:2017年4月1日

関平鉱泉の歴史

関平鉱泉の歴史(関平鉱泉構想より引用)

西暦1832年(天保3年)当時の踊郷三体堂村字田方に、原田丑太郎という田舎武士が住んでいた。ある晩、丑太郎に向かって神のお告げがあったのである。

「汝丑太郎よよく聞けここを流れる田方川をさかのぼれば、必ず温泉の湧出するところあるべし、この温泉を用ゆるときは、諸々の病に卓効あり、夢々疑うことなかれ」

目覚めた丑太郎は一子伝内を伴い、当時のことで難儀に難儀を重ねて、田方川をさかのぼること7日目にして、ついに上流の巨大な岩石の上から湧出する温泉を発見したのである。人跡未踏の未開の場所、温泉開発は当時としてツルハシ1本さえない時代ゆえ、言葉では言いつくせない難儀の連続であったが、こうして関平鉱泉ができあがったのである。

温泉の効能は客から客へと伝わり、近い人は日帰り、遠い人は泊まり、飲んでよし、入ってよし、素晴らしい効能を知った遠近の里の人たちは、たとえ病気でなくとも怪我やデキモノができたりすると、必ずといってよいほど訪ねてくるようになり、大繁盛するに至ったのである。

その後も幾多の変遷を経ながら、現在の関平鉱泉は、町民はもとより県内外の多くの人が知る天下の名泉となっている。温泉発見から現在まで何の変わりもなく湧き続けており、効能においても衰えを知らず、関平の名声は高まるばかりである。関平鉱泉の無色透明で飲んでおいしい水として、また、効能ともうまくかみ合って、近年の名水ブームに拍車をかける結果となっている。

人から人へ、あるいは口から口へと言い伝えられ、利用者はいまや全国的に広がりつつある。

(この内容は、原田家で代々口伝えされていたものを、5代目の重之が丑太郎の孫である研介及びひ孫であるナカから聞き取り文章化したものを、現代の口語体に書き直したものである。なお、神示により発見されたことは、発見人の原田丑太郎本人が建立した碑文にも記されている。)

三体川写真

関平の源泉にある祠と鳥居写真

お問い合わせ

商工観光部霧島PR課関平温泉・関平鉱泉所

〒899-6602 鹿児島県霧島市牧園町三体堂2057-8

電話番号:0995-78-2355

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