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更新日:2024年3月11日
霧島市では、本市の特性を活かした良好な景観の保全や、新たな景観形成に向けた取組を推進するため、平成24年9月に「霧島市景観計画」を策定しました。景観とは、長い年月の中で地域の自然や歴史、文化等とともに育まれてきた大切な資産であり、適切な保全や形成を図りながら、次の世代に引き継いでいくことが求められています。
そこで、地域の小学校の子供たちやその保護者の方々に、ふだん何気なく見ている景観が貴重なものであると知っていただくための普及啓発活動として、平成26年度から景観整備機構(鹿児島県建築士会)と協力して「まちなみウォッチング」を実施しています。
この「まちなみウォッチング」では、地域の歴史や文化に精通した講師の方や建築物の専門家である建築士による解説を受けながら、まちなみを歩き、歴史的建築物などを見学することで、日頃生活しているまちへの理解や認識を深めていただき、今後の自主的なまちづくりの機運を高めていくことを目的としています。
第2回目の今年度は、「霧島市景観計画」における特徴ある景観を有する地域・地区のひとつである『福山の港・海岸景観地域』において実施しました。
当日は、朝から真夏の日差しが降り注いでいましたが、子供たちだけでなく保護者のかたや学校の先生にも参加していただきました。
旧制福山中学校(旧福山高校)の創立者である田中省三氏の別邸として、大正11年に建てられた建坪130坪の木造建築物です。内装には屋久杉がふんだんに使用されていて、シャンデリアやマントルピース(暖炉の上の飾り棚)、漆喰飾りの施された和洋折衷の洋間は県内ではあまり見られない造りになっています。子供たちもシャンデリアや客間の高い天井を興味深そうに見上げていました。
福山市民サービスセンターと宮浦宮の間には、見事な石垣と2か所のアーチ式水汲み場があります。ここには、薩摩藩の地頭仮屋(在地役所)が置かれていて、その石垣とアーチ式水汲み場は、鹿児島市の甲突川五石橋も手掛けた肥後の石工「岩永三五郎」の手によるものと伝わっています。建造されて180年近くを経た現在でも、十分に当時の姿を残しています。講師のかたのお話では、この地域は4メートルほど井戸を掘ると硫黄が出てしまうため、その代わりとして湧き水を使う水汲み場が作られたそうです。
宮浦宮は創建時期は不詳ですが、1000年以上も前に書かれた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にその名前が残るとても由緒あるお宮です。境内に大きな枝を伸ばす福山のイチョウは、樹齢が600年以上とも1000年以上とも言われ、鹿児島県の天然記念物に指定されています。また、向かって左側の木には、西南戦争における官軍の艦砲射撃による弾痕が残っていて、福山の港が歩んできた歴史を物語っています。
宮浦宮から国道10号線を渡ると硫黄のにおいが漂い始めます。ここには昔、温泉があったそうで、今でも波消しブロックの間にあるパイプから少量の温泉が湧き出しています。車の行き交う国道のすぐ横から温泉が湧き出す光景を、子供たちも珍しそうに見ていました。下の写真の旧川井田家は、藩政時代には薩摩藩の財政を支えていた福山を代表する豪商のひとつでした。広い中庭を囲み特徴的な2階部分を持つコの字型の建物からは、今でも当時の繁栄ぶりがうかがえます。
まちなみウォッチングを終えて、無事到着。まちの成り立ちを学んで、見慣れた景観の新たな一面を発見してもらえたのではないでしょうか。
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